平成23年12月17日(土)  目次へ  前回に戻る

 

昨日は問題提起などしてしまいまして申し訳ございません。みなさんにお考えいただくような重要な問題ではありませんでしたのに・・・。

(昨日の続き)

さて、先輩の僧侶ども、

「はよう答えを言うのだ」

と若い僧に詰め寄ったので、若い僧の答え―――

龕龍去東涯、  龕(がん)の龍は東の涯に去り、

時日隠西斜、  時の日は西に隠れて斜めなり、

敬文今不在、  敬うの文は今あらず、

碎石入流沙。  碎くの石は流沙に入る。

さてさて、各句の第一字めと二字目を比べてみると・・・・、二字目はいずれも一字目に「含まれている」ことにお気づきいただけましたかな。

「龕」は「合+龍」

「時」は「日+寺」

「敬」は「苟+文(シブン)」

「碎」は「石+卒」

それぞれの句は二字目がどこかへ行ってしまうことを言っております。

「龕」から「龍が東の方に去って行ってしまった。(残りは→「合」)

「時」から「日」が西の方に傾き隠れていってしまった。(→「寺」)

「敬」の中の「文」は今はもうない、(→「苟」)

「碎」の中の「石」は流沙の中に入って行ってしまった。(→「卒」)

このように文字を分離させて意味を読み取る手法を「析字」と申しますが、その方法によって、この詩は、

合寺苟卒。

と読み解くことができます。

ふつうのひとは、

「この四文字にどういう意味があるのかな?」

と思うでしょうが、漢文としては

合(まさ)に寺、苟卒(こうそつ)せん。

寺はまもなく突然壊れる。

「この寺なんかはやく滅んでしまえばいいのだ!」

という意味になるのですなー。

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今日は(おもてのシゴトは)お休みでしたので、裏のシゴトとして、久しぶりで淮南王の御伽衆に加わり、よしなしごとを申し上げてまいりました。

以道為竿、以徳為綸、礼楽為鈎、仁義為餌。投之江、浮之海、万物皆得。
道を以て竿と為し、徳を以て綸(いと)と為し、礼楽を鈎と為し、仁義を餌と為す。これを江に投じ、これを海に浮かぶれば、万物みな得ん。

「道」を竿にしまして、「徳」を糸にしまして、「規範と音楽」をハリにしまして、「思いやりと正義」をエサにいたします。これを大いなる川や大いなる海に投げ込めば、あらゆるものが釣れましょう。

「わははは」「いやまったくじゃ」「よう言うたぞ」

生有七尺之形、死為一棺之土。安知喜憎利害耶。

生きては七尺の形あり、死しては一棺の土となる。いずくんぞ知らん、喜・憎・利・害をや。

生きている間は190センチほどの身体を持っているわけですが、死んだらそのまま棺一つ分の土になるだけじゃ。なんで現世で喜んだり憎んだり、得したの損したのと言うていられよか。

「わははは」「いやまったくじゃ」「よう言うたぞ」「漢代の一尺は28センチ弱じゃから七尺は190センチという換算になってしまうのう」「わははは」

歴陽之都、一夕成湖。

歴陽の都、一夕にして湖と成りぬ。

むかし、淮南にありました歴陽のお城は、ある日、一晩のうちに湖となってしまったのでございますよ。

これには「注」がついておりまして、こんな話がある。

有一人告歴陽母曰、見城門有血、則有走無顧。此後、門吏汚血於門限。母便上北山。

一人の歴陽の母に告ぐるありて曰く、城門に血有るを見ればすなわち走るありて顧みる無かれ、と。この後、門吏、門限に血をもて汚す。母、すなわち北山に上る。

歴陽のお城には、ひとりのおばばがおった。あるひとがそのおばばに戯れに言うた、

「町に入る門に血が塗られていたら、振り向かずに逃げ出さねばならぬ」

と。

ある日、門番が町の外から穢れが入らないようにするため、門の扉に犠牲ドウブツの血を振りかけた。

おばば、それを見て、

「きゃーーーー」

と叫んで城内から逃げ出し、駆けに駆けて町の北山の上まで逃げたという。

おばば、

「こ、ここまで来たら・・・」

と息切らせながら振り向くと、

県果陥水中、母遂化作石也。

県は果たして水中に陥り、母はついに化して石と作れり。

城はほんとうに水中に沈んでいくところであった。おばばはその場に立ちすくんだまま、石になってしまった。

―――それが、歴陽の山に今もたつ姥石である、とかなんとかかんとか・・・。

「わははは」「それはまことか」「いや、なんと、

@   ブリターニュの岬の先の海に人民とともに沈んでしまい、今も水底から鐘の音だけが聴こえるという伝説のイスの都

A   あるいは、旧約聖書にいう、堕落したソドムとゴモラの町は「かれら」の光の矢によって滅ぼされた。「かれら」によって逃げ出すよう、そして振り向かぬよう告げられた義人ロトの家族は光の矢の降り注ぐ前に逃げ出したが、振り向かぬようにという忠告を無視して、山の上から町を振り向いたロトの妻は、一瞬にして「塩の柱」と化してしまった。

といった西方の伝説を思い出しますなあ」

などと楽しく話しておりましたら、

「これ、肝冷斎よ、おまえも何か」

と指名を受けた。

「さすれば・・・・」

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いずれも「淮南子」より。ただし、「淮南子」本体ではなく、古典のいいところを抜き出した、馬総「意林」巻二から引用したのでちゅ。

肝冷斎の話したことは、明日ゆっくり書きますよ。明日も休みだからなあ。わはははは。

ちなみに、今日は文京ふるさと歴史館、弥生美術館、竹久夢二美術館、岩崎邸庭園、江戸東京博物館を歴訪。3月〜11月は観タマで忙しいから、博物館系に行けるのは冬の間だけなのヨ。ちなみに、立原道造記念館はつぶれてました。横山大観記念館は展示替えのため新年までお休みらしい。

明日も休みだからいろいろ行けるなあ、わはははは。まさか表のシゴトが入ってきたりはしますまいのう。

 

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