平成23年12月18日(日)  目次へ  前回に戻る

 

今日は、表のしごとが! 入りやがったのです! 夜まで帰ってこれませんでした! 

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ために、淮南王のもとに伺候するのが遅れ、あやうく御不興を買うとこであった。御不興を買いますと、クビがすぽぽんと斬られるかも知れません。

「・・・クビ斬られるかと思うてビクビクしましたわい」

という下らんギャグが王とその取り巻きに受けまして、

「わはは」「これはしたり」「なるほどのう」

などとその場が和みまして、そこで、わしは膝をぐぐいと進めて、王に申し上げました。

―――さて、わたしはこのように聴いておりまする。

天と地は巨大でございますが、日の影を測って、時間や季節の区切りをすることができます。

星と月の行動は遥かなものでございますが、暦を立てて推しはかることができまする。

かみなりの音も耳を聾するほどでございますが、太鼓を用いてその音を再現することができます。

風が吹き出したり雨が降りだしたりという天候の変化は、音律のかすかな変化で予知することができます。

大いなるものも量りとることができ、量りとることができるものは規則化して予測することができるものなのでございます。

耳で聞こえるものは音を調えることができますし、目で見ることのできるものは識別することができます。

これはどういうことでございましょうか。

すなわち、

至大天地弗能含也、至微神明弗能領也。及建律暦、別五色、異清濁、味甘苦、則樸散而為器矣。

至大は天地もよく含むあたわず、至微は神明も領するあたわざるなり。律暦を建て、五色を別し、清濁を異にし、甘苦を味わうに及んでは、すなわち樸散じて器と為れり。

無茶苦茶でかいものは天地の間にも入り切らず、無茶苦茶小さいものはすごく目のいいやつにも見分けることができないものです。

しかるに、音律や暦を定め、、五つの色を分類し、清んだものと濁ったものを分け、甘いと苦いの区別をするようになりますと、伐られたばかりの樸(あらき)は、そのみずみずしさを失って、道具に作り替えられていくのでございます。

世界の本来持つ生命力は、分類し識別するという智慧の働きによって、喪われるのであります。

さらに進んで、

立仁義、修礼楽、則徳遷而為偽矣。及偽之生也、飾智以驚愚、設詐以巧上。

仁義を立て、礼楽を修むれば、すなわち徳遷りて偽となる。偽の生ずるに及ぶや、智を飾りて以て愚かなるを驚かし、詐を設けて以てその上なるを巧む。

仁・義の道義を標語にし、礼・楽を定めて規範化してしまえば、生命力は変化して、「つくりもの」となってしまいます。「つくりもの」が現れれば、それは智慧で粉飾して愚か者どもをびっくりさせ、いつわりごとで誤魔化して賢い者たちにも見抜かれなくことでしょう。

そうなってしまっては、誰がこの世界の中で、本来の幸福とともに暮らすことができましょうか。そして、誰がそのような不幸なひとびとを統治していくことができましょうか。

―――そこでわしは一度ことばを切り、ぎろぎろと王とその取り巻きを睨み、続けたのでございます。

おお。みなさまは御存じでございましょう?

昔者、蒼頡作書而天雨粟、鬼夜哭。

むかし、蒼頡(そうきつ)書を作りて、天は粟を雨ふらし、鬼は夜に哭す。

むかし、蒼頡さまは文字を作った。そのとき、天は穀物の雨を降らし、精霊たちは夜中、声を上げて泣いた、と申します。

注にいう、「蒼頡」は超古代の黄帝のときの記録役で、

始視鳥迹之文、造書契。

始めて鳥迹の文を視て、書契を造る。

人類で初めて、鳥のあしあとにヒントを得て、文字記号を作ったのだ。

という。

このため、ついにいつわりとたばかりが生まれ出ることとなり、ひとびとの中には耕作を棄てて文書を学ぶものが出始めた。

天知其将餓、故為雨粟。

天はそのまさに餓えんとするを知り、故に粟を雨ふらすを為す。

天は一部のひとびとが耕作を棄てたことから、いずれ全体としての食糧が足らなくなることを心配し、穀物の雨を降らしたのである。

鬼恐為書文所劾、故夜哭也。

鬼は書文の劾するところとなるを恐れて、故に夜哭するなり。

精霊たちは文書によって自分たちが批判されることになるのを恐れて、夜中に哭いたのである。

あるいは、この「鬼」の字は字形の似ている「兎」の字の誤りであるとも言う。

兎は文字ができたので、いずれ自分の毛が筆に使われるために自分が殺されるだろうと思い、泣いたのである、と。

しかし、文字ができたころは甲骨や金石に刻まれていたので、そのころ「筆」ができるなどと思いついたはずがないので、「兎」説は信用なりません。

おお。そしてまた、

伯益作井而龍登玄雲、神棲崑崙。

伯益(はくえき)井を作りて龍は玄雲に登り、神は崑崙に棲む。

伯益さまが井戸を掘ったので、大地に住む龍は空に昇ってしまい、今では崑崙山に棲むようになった、と申します。

注にいう、

伯益というのはいにしえの聖なる王・舜の部下であった。はじめて井戸を掘り、水を求めたひとである。龍は人間が土木工作をするのを見て、いずれはすべての谷川や河江が彼らの支配に属するであろうと思い、黒雲の中に登っていってしまい、現在では崑崙山に棲息するようになったのだ。

お考えください。

能愈多而徳愈薄矣。

能いよいよ多くして徳いよいよ薄し。

人間が有能になればなるほど、生命力は薄くなっていくのでございますよ!

―――無能の方がいいのでございますよ!

と言いながら、わしはまたじろじろとまわりを見た。(少し長くなってきたので続きは明日(以降)にします。)

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「淮南子」巻八・本経訓より。(今日は「意林」からではなく、本体から引いてきています)

明日もまた表のしごとなので、ここで中断ですわ。ほんとに淮南王が怒って、クビとかおちんちんとか斬られてしまうかも。そんな痛いメにあうぐらいなら、表のしごと辞めた方がいいかも・・・。

ちなみに、

昔者、蒼頡作書而天雨粟、鬼夜哭。

むかし、蒼頡(そうきつ)書を作りて、天は粟を雨ふらし、鬼は夜に哭す。

の一節、藤堂明保先生が朝日新聞社から刊行されました「中国名言集」の冒頭に引いていて、むかしむかし片田舎の読書少年であったわしは何にも知らずにそれを讀んだ記憶がありますなあ。

藤堂先生は御承知のとおり、元華族家の出で、全共闘に共鳴して東京大学教授の職を擲った漢字学者・・・というのが当時のわたしのわずかな知識。

たしか藤堂先生は、この語を冒頭に引いて、中国人民の階級社会への抗議の淵源の長いこと、文革の考え方の正しいこと、などを説いておられたやうに思い出す。わたしもそのころ文革を否定してはいませんでしたので、その点で藤堂先生を責めはいたしますまい。いかに当時、先生が社会の指導的立場におられ、中国の現実をも知る立場におられたことを考えると、その知的良心に疑いがもたれるといたしましても。そして、藤堂先生が白川静先生を「正規の学問を受けておられない」と評したとか何とかたいへん歪んだエリーチズムの持ち主であるということも問題でございますとはいえ。なぜなら、これらは先生おひとりの罪にあらず、アサヒ新聞と、アサヒ的なるものを信奉したもろもろの者たちの罪でございますゆえに。

なお、そういえば今日は藤堂先生と一緒にチュウゴク旅行に行った(「街道をゆく」による)司馬遼太郎さん原作のNHKドラマ「坂の上の雲」で対馬沖海戦だそうですね。テレビ無いのでわかりませんが、原作よりも変に歪曲されていないことを祈っておりまする。

 

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