一週間やっと終わりましたわー。
みたいなことを書いて、それから書きたいことを半分ぐらい書いたんです。そしたら、突然強制終了した。
「淮南子」を引きながら、藤堂明保先生をアサヒ型知識人として嘲笑する内容でしたので、ヤラれたのかも知れません。
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ケチがつきましたので方針を変えます。
唐の乾符年間(874〜879)のことと申しますが、揚州広陵の名刹・開元寺に、貧しい文人とみえる男が現れて、一夜の宿を乞うた。
しかし寺僧は、男が誰の紹介状も持っていないのを理由に宿泊を断った。
男がその晩どこで夜を過ごしたかは知らないが、次の日の朝、寺の門に一詩が書きつけられておりましたんじゃ。
龕龍去東涯、 龕(がん)の龍は東の涯に去り、
時日隠西斜、 時の日は西に隠れて斜めなり、
敬文今不在、 敬うの文は今あらず、
碎石入流沙。 碎くの石は流沙に入る。
「龕」は礼拝用のものを納める箱をいう。「厨子」。
「さて、これはどういう意味であろうか」
僧衆皆不解。
僧衆みな解かず。
僧侶どもは意味がわからず、みな首をひねっていた。
が、ある若い僧、にやにやしながら、
「わたしもそう思うときもあります。が、まあ、気にせず放っておきなされ」
と言うたのだ。
先輩の僧侶ども、
「おまえには、この詩の意味がわかるのか?」
と詰め寄った。
「はあ・・・・各句の一文字目と二文字目をようく見比べてみなされ・・・」
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明・馮夢龍編「智嚢全集」巻十八より。答えは下らんので明日にでもそっと教えてあげましょうぞ。