平成23年11月19日(土) 目次へ 前回に戻る
今日は雨降りです。
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雨降りの夜の詩を読んでみませう。
平野金華「冬日雑詩」(冬の日のいろいろ)。
平野金華は元禄元年(1688)生、陸奥(福島田村)・三春のひと。幼にして父母を喪い、親類に育てられたが、後江戸に出て医を学び、また荻生徂徠門下に入って「萱園七才子」の一人と言われた。
常陸・守山藩儒となるも生涯貧困で書を買うことができず、借りては写し続けたため、享保十七年(1732)没後、家から大量の写本が発見されたという。私に「文荘」と諡さる。
十年何所有、 十年、何の有るところぞ、
華髪感吾生。 華髪、吾が生を感ぜしむ。
この十年(藩儒の職を得たが)、いったい何のために生きてきたか。
あたまに白いのが生えてきたので、わしはわしの人生のことにつき、考えこんだのじゃ。
茅屋雨声暗、 茅屋に雨声暗く、
寒灯曙色清。 寒灯に曙色清し。
茅葺のわびしいわしの家では、夜通し雨音が聞えていた。
寒々としたあかりの下で眠れぬうちに、窗外にはわずかに夜明けの明るみが見え始めた。
淹流憐薄宦、 淹流しては薄宦を憐れみ、
偃蹇怪虚名。 偃蹇しては虚名を怪しむ。
この間、役所では薄給の官職のまま滞って昇格することがなかったのは、同情にあたいするかも知れぬ。
また、詩文の世界で少々褒められたが、これには実質が伴わず、止まったまま少しも進歩していない。
相値軽肥客、 相値(あ)う軽肥の客、
揚揚意気横。 揚揚として意気横たわる。
最近会うのは才気ある小ぎれいな方々ばかり、
みな意気揚々と上を向いて、図々しいほどであられる。
文句ばかり言っておられますが、インターネットもDVDも無しに冬の夜中ひとりで考え込んでいたらこうなってしまうかも。
わしも一人になると、これからどうなるのだろう、死んだらどこに行くのだろう、過去にあんなことをしなければよかった、あいつはいい目を見やがって・・・などなど「もやもや」が湧いてきて困りますからね。サウナでも行ってくるか。
なお、末筆ながら、「軽肥の客」といいますのは、「論語・雍也篇」の中で、孔子が、弟子の公西華への援助を削らせるために、
赤之適斉也、乗肥馬、衣軽裘。
赤の斉に適(ゆ)くや、肥馬に乗り、軽裘を衣(き)る。
赤(公西華)は斉の國に出張したとき、肥えた馬に乗り、軽々とした毛皮の上着を着て、行きやがったのだぞ!
という言葉に拠っております。ので、「立派な馬・かっこいい服を着ているひと」を言うのであって、「ちょっと肥ったひと」の意味ではございませんので念のため。