平成23年11月20日(日) 目次へ 前回に戻る
今日は雨いい天気でしたなあ。まるで夏のような雲が、山辺や海原から湧いていた。いよいよまた来るのかも・・・。
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花之先於春者、為残霜所傷。説之先於時者、為旧弊所厄。
花の春に先んずるものは、残霜の傷つくるところとなる。説の時に先んずるものは、旧弊の厄するところとなる。
春たけなわとなる前に咲きそめた花は、冬の忘れていった霜に傷つけられるだろう。
時代が動きはじめる前に新しい思想を説き始めた者は、古い着物を着たものたちにおそろしい目に合わされるだろう。
おお、しかし、先んずる者がいなければ、後から行く者がどうして立ち上がることができるだろうか。
ということで、わたしの妹が片付きました先の佐久間象山先生は、ほんの数年前に、天下に先んじて「開化して日に新たならん」との説を唱え、ついに旧弊の者たちの兇刃に斃れた。
その間に数篇の文章を書いて、持ち運び用の箱の中に入れておいた。
これを「省侃録」という。
明治になって、その息子がわたしのところにこれを見せにきた。わたしはカネを出して、これを刊行せしめることにした。
ああ、ひとに先駆けて思想を説いたものは、おそろしい目に遭うしかないのだ。ところが、今、世間のひとはこの書を見ると、
為平平無寄耶。
平平として寄無しとなさんか。
平凡でほかと違うことを言っているわけではない、と思うであろう。
「寄」は「奇」である。「平平無奇」については、→11月5日を参照されたい。
わたしはそいつに言うてやる。
子之見識至此者、豈非遭厄者之賜耶。
子の見識のここに至れるは、あに厄に遭いし者の賜ものにあらざらんや、と。
おまえさんの見識がこんなに高くなったのは、おそろしい目に遭わされた先駆者たちのおかげではないかね、と。
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海舟・勝安房「省侃録序」より。おいらも世間に先駆けていろんなこと言っているから、もうすぐやられるかもね。