平成23年11月21日(月)  目次へ  前回に戻る

 

いやなことばかりですわ。今日一日、まともなことは、栗原のFAしない宣言ぐらいか。

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唐の高宗のころ、徐敬業の乱が起こりましたが、このとき、左史の江融というひとは

耿介正直。

耿介にして正直なり。

妥協せず、曲がったことのきらいな人柄であった。

そこで、当時すでに頭角をあらわしつつあった司法官僚の周興らが謀り、江融も徐敬業の一味だと告発して、すぐに死罪の断を下してしまった。

周興らは時間が経つと真実がばれてしまうので、事を急ぎ、本来なら都・長安の護送してから処刑すべきところを、東都(洛陽)の役所の前で斬罪に処することとした。

江融はまさに斬られようとして刑場に引き出されたとき、はじめてまともな裁判でないことに気づき、

請奏事引見。

奏事のため引見せんことを請う。

皇帝に申し上げねばならぬことがあるから、長安の皇帝のところに連れて行け、と主張した。

周興は怜悧な表情を崩さず、

囚何得奏事。

囚、何ぞ奏事を得ん。

「囚人がどうして皇帝に奏上することができるのかな。」

と取り合わぬ。

江融、怒声激しく、

吾無罪枉戮。死不捨汝。

吾罪無くして枉戮さる。死すとも汝を捨(お)かず。

わしはどうやら罪無くして法を曲げて殺されるようじゃが、死んでもおまえをそのままにしておくことはないぞ!

と叫んだ。

刑場には群衆が詰めかけている。

周興はこれ以上しゃべらせる必要はない、と刑吏に手で合図をした。

刑吏、得たりや応とばかり、振り上げた斧を打ちおろす。

斧は過たず江融の首の骨へしおり肉裂き、みごとに融の首は体から切り離されて、

ぼとり

と地面に落ちた。

ところが、

尸乃激揚而起、蹭蹬十余歩。

尸すなわち激揚して起ち、蹭蹬(そうとう)すること十余歩なり。

死体は、突然激しく立ち上がり、すたすたと十数歩歩いたのだ。

そのさまは周興を探しまわるかに見えた。

「なんじゃ、こいつは!」

行刑者踏倒。

刑を行うもの、踏倒す。

刑吏は、足をかけて死体を倒した。

しかし、江融の死体は、

還起坐。

また起坐す。

また起き上がって、座り直した。

ついで立ち上がり、歩き回り始める。

「いい加減にせい!」

刑吏はまた押し倒したが、さらにもう一度、死体は立ち上がって、数歩歩んだところで膝をつき、そしてついにくずおれた。

ようやく気づいて頭の方を見ると、最初に転がったところから数丈(4〜5メートル)も周興の方に近づいたところまで来て止まっていたが、

似怒不息。

怒り息まざるに似たり

まだ怒っているように見えた。

周興は

「はやく片付けろ」

と命じて何ごとも無かったかのように引き上げたが、

無何死。

いくばくも無くして死す。

しばらくして彼も死んでしまった。

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「朝野僉載」(「太平廣記」巻121所収)より。あたま無くても死なないよー!

別のこと調べているうちに昔読んで○印つけていたのを思い出したので、紹介してみました。わしもこんな強い精神力を持って生きて(死んで?)いきたいものだが、なあ・・・。、

 

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