平成23年10月28日(金) 目次へ 前回に戻る
木・金と辛かった。明日も早いんです。出張。時間無いから、「韓非子」説難篇の、26日の記述の続きを紹介しておきます。「逆鱗」の出典ですね。
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故諌説談論之士、不可不察愛憎之主。而後説焉。
故に、諌説談論の士、愛憎の主を察せざるべからざるなり。しかる後に説く。
・・・だから、諫言や論説で身を立てようとする者は、(自分に対する)寵愛と憎悪のどちらが(君主の中で)主になっているか、を察する必要があるのである。それを察してから、はじめて論説をはじめるべきものである。
夫龍之為蟲也、柔可狎而騎也。
それ、龍の蟲(むし)たるや、柔にして狎れて騎るべきなり。
さてさて。
龍というドウブツのことですがな。あれは優しいドウブツで、なれなれしくして、その背に乗って空を行くこともできるものなのだ。
然其喉下有逆鱗徑尺。若人有嬰之者、則必殺人。
しかるに、その喉下に逆鱗、徑尺なるあり。もし人のこれに嬰(かか)る者あれば、すなわち必ず人を殺す。
ところが、龍のアゴの下には、さしわたし(直径)一尺ほどの「逆鱗」(さかさになったうろこ)というものがある。もし、ひとがそれに触れると、龍は怒り狂い、どんなに狎れていても必ずその人を殺すのだ。
先秦時代の「一尺」は20センチ前後。
人主亦有逆鱗。説者能無嬰人主之逆鱗、則幾矣。
人主また逆鱗あり。説く者、よく人主の逆鱗に嬰かる無ければ、すなわち幾(ちか)いかな。
人間世界の君主にも、やはりこの「逆鱗」があるのだ。論説の徒は、もしうまくこの「逆鱗」に触れないように君主に説くことができれば、成功者ということができよう。
つまり、触れてしまったら大失敗。くびちょんぱです。
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明日は出張の一行の中にはえらいひとも何人かおられますからね。おいらもいつまでも飼いならされたままでいるわけにもいくまい。ようし、明日はえらい人たちの逆鱗を撫で、さすり、ひねり、ぐりぐりにしてやってみるか。ははは、そろそろすっきりしたいと思っていたところだからな。(その前に遅刻せずに合流できるか、が問題だが)