平成23年10月26日(水) 目次へ 前回に戻る
あんまりネタが無いんです。そこで、昨日出てきた「韓非子」説難篇の「彌子瑕」(びしか)のお話をしておきましょう。ウホッ。
(以下、子ども(精神的な子どもを含む)は読んではいけません)
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むかし、彌子瑕は、衛の王様に寵愛されておった。
さて、この当時の衛國の法では、王に黙って王の車に乗った者は
罪刖。
罪刖(げつ)せられる。
足切りの刑に処せられることとなっていた。
彌子瑕の母が病に倒れた。郷里のひとが急いで王都に走り、ようやく夜中に彌子瑕に面会してそのことを告げた。
「母上が!」
彌子矯駕君車、以出。
彌子、矯(いつわ)りて君の車を駕しして、以て出づ。
彌子瑕は、王さまがお使いになるのだ、と偽って、王の車に乗り込むと、王都を出て母の見舞いに行った。
そのことを聞いて、衛の王さまは、
「賢いやつじゃのう。親孝行なやつじゃのう。
為母之故、忘其刖罪。
母の故がために、その刖罪を忘る。
おふくろさんの見舞いのために、足きりの刑罰になるかも知れんという心配も忘れてわしの車に乗っていったのじゃ」
と称賛した。
別の日、王と彌子瑕は「果園」(果樹園)に仲良くお出かけになった。彌子瑕は、
食桃而甘。不尽以其半啗君。
桃を食らいて甘し。尽くさず、その半ばを以て君に啗(くら)わす。
桃を食べたところ、たいへん甘かった。そこで、半分残して、王に「お食べください」と差し上げた。
衛王はその桃を受け取り、
「わしを愛しておるのじゃのう。
忘其口味、以啗寡人。
その口味を忘れて以て寡人に啗(くら)わす。
美味いものは自分の口で味おうてしまいたいであろうに、残してわしに食わせてくれるとはのう」
「寡人」は古代の諸侯の一人称である。
さてさて。
やがて、彌子瑕は
色衰愛弛。
色衰え、愛弛む。
容色も衰え、王の愛もだんだんと弱まった。
そして、ついに彌子瑕は王の怒りを受け、
得罪。
罪を得たり。
刑に処せられることとなったのだ。
彌子瑕、処刑の前に、かつての愛情の日々を思い出してくれるよう王に懇願したが、王は、
是固嘗矯駕我車、又嘗啗我以余桃。
これもとよりかつて矯(いつわ)りて我が車に駕し、またかつて我に啗(くら)わすに余桃を以てせり。
「おまえは、以前にも、偽ってわしの車に乗る罪を犯したのではないか。また、以前には、わしに自分の齧った残り物の桃を食わせおったではないか!」
と激怒し、早く処刑するよう命じたのであった。
ああ。
彌子之行、未変於初也。而以前之所以見賢、而後獲罪者、愛憎之変也。
彌子の行い、いまだ初めより変ぜざるなり。しかるに前(さき)の以て賢とせらるところを以て、後に罪を獲るは、愛憎の変なり。
彌子瑕の行動は、一つである。しかし、以前には「賢いもう」とされたのに、後で罪の対象とされたのは、主君の愛と憎が変わったからである。
気をつけねばなりませんなあ。
・・・この後に、「逆鱗」の出典となる言葉が続きます、が、本日はここまで。すごい眠いので。まあ、明日は金曜日だから一日寝てたら明後日は休みだ。
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ところで、この「韓非子」の「彌子瑕」の話、今から四十年前、どういうわけか、死んだおやじがどこかで仕入れてきて(当時、中公の「世界の名著」の「諸子百家」を讀んだのだと思う)、わしに何度も話してくれた。ほんとですよ。しかも、話すたびに、「王様とこの男はホモという関係だったのだ」と言って、「うひひひ」と一人で笑っていた。
何で幼いわしがこの話を聞くと喜ぶだろうと思ったのかまったくわかりません。が、わしがシナの古典をマジメな顔して読めず、にやにやして読むようになってしまったのには、このことが大きな影を落としているのである。PTSDなの。心的トラウマなんでちゅ。同情ちてあげて。