人工衛星、落ちたらしいですね。カナダ西部に。
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一昨日の「杞人憂天」(杞のひと、天を憂う)につきまして。
じじいが二人、発言を求めてまいりました。
一人目は長廬子というじじいである。
あまり聞いたことのないじじいですが、「史記」に「楚に長廬子あり」といい、「漢書」に「長廬子、書九篇を著わす。道家の流に属す」とあるので、いにしえより名のあるお方であった。
「うは@うは@。
虹蜺也、雲霧也、風雨也、四時也、此積気之成乎天者也。山岳也、河海也、金石也、火木也、此積形之成乎地者也。
虹蜺(こうげい)や、雲霧や、風雨や、四時や、これ積気の天に成すものなり。山岳や、河海や、金石や、火木や、これ積形の地に成すものなり。
虹(♂を虹といい、♀を蜺というのである)とか、雲・霧とか、風と雨、季節のめぐり―――これらは、積もった気が天において作り成す現象である。山岳とか、河や海、金属・鉱物、炎や植物―――これらは、積もったかたまりが地において作り成す事物である。
積もった気、積もったかたまり――これらは以上のようなものになるわけじゃが、これらが壊れることのないもの、といえますかな?
天地というのは、無窮の空間の中ではちっぽけなものじゃが、物理的存在としては最も巨大なものである。どこまでも極め尽くすことができず、終わらせることができず、測ることも認識することもできない。そういうものである。それが壊れるのではないかと心配するものは、
誠為大遠。
誠に大遠を為すかな。
ほんとうに遠いかなたのことを考えているのじゃ@
それが壊れない、と説明するものは、
為未是。
いまだ是ならずと為す。
まだそのときが来ていない、と言っているにすぎないのじゃ@
天地は壊れざるを得ない。いつかは壊れる。その壊れるときにあえば、心配しないというひとがあるじゃろうか。
うは@うは@うは@」
続いて、「列子」の主人公(といっても出てくる回数そんなに多くないのですが)たる列御寇そのひとが出てきた。
「うほ$うほ$。
言天地壊者亦謬、言天地不壊者亦謬。
天地の壊ると言うものはまた謬(あや)まちにして、天地の壊れずと言うものもまた謬まてり。
天地が壊れると言っている者は間違い。天地が壊れないと言っている者も間違い。
壊れるか壊れないか、なんて、わしにはわかりませんのじゃ$
しかし、
彼一也、此一也。
彼も一なり、此れも一なり。
壊れるか、壊れないか、どちらかが正しいのでしょうなあ$
さて、ここからよく聴きなされ。
生不知死、死不知生、来不知去、去不知来。壊与不壊、吾何容心哉。
生は死を知らず、死は生を知らず、来たるは去るを知らず、去るは来たるを知らず。壊ると壊れざると、吾、何ぞ心に容れんや。
生きている者は死後のことがわからない。死んでしまった者は生きていたときの世界に関心がない。生まれて来る者は死んだ後のことを知らず、死んだひとは生まれ来る者がどうしているのかを知らない。世界が崩壊するとかしないとか、そんなことが、わしに何の関係があるのじゃろうか。
うほ$ほー$」
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「列子」天瑞篇の続きの部分。「杞憂」のお話はここまで続きがあったのです。そして、ここまで読むと、「杞人」の方がまだしも正しくて、「杞人」の心配を「杞憂」だと笑っているオトナのみなさんの方が間違っているらしいことは、確実になってまいりますね。
まあでも、オトナにはこんな難しい問題はわからないでちょう。生と死の問題に関わってきてちまいまちたから。オトナはしっぽ捲いてパートナーにでも慰めてもらってくだちゃい。おいらのようなコドモはこの問題に立ち向かいまちゅがね。うは@うは@