人工衛星が落ちてくるよー!
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「杞人憂天」(杞のひと、天を憂う)あるいは略して「杞憂」という言葉があります。「列子」天瑞篇に典拠があり、「根拠のない心配をすること」「取り越し苦労」と解されている・・・はずです。
ところで、みなさん、おとなになってから、この本文を読まれたことありますか。高校時代など、まだニンゲンのことを何も知らないころに漢文の授業で読んで、「ああ杞憂だなあ」と思って、それきりになっているのではありますまいか。
今日は人工衛星も落ちてくることでありますし、おとなの心で「列子」の該当箇所を読んでみましょう。
「列子」本文をひもとくと、まず、
杞國有人。
杞國のひとあり。
杞(き)の国にあるひとがおりました。
と、ここまではみなさん御存じのとおり。付け加えるとすると、「杞」の國人は「夏」の國の子孫である、ということぐらいでしょうか。「待ちぼうけ」の題材にされている「宋」の國人は「殷」の子孫でした。「杞」と「宋」の二つの國人は、春秋・戦国の時代には亡国の子孫として見下げられ、「だめなやつ」の典型とされていたこと、が説話の「通奏低音」として流れておりますことを、おとなは理解しておかねばなりません。
さて、この杞國のひと、
憂天地崩墜、身亡所寄、廃寝食。
天地の崩墜して身の寄するところ亡きを憂い、寝食を廃す。
天地が崩れ落ちて自分の身を置くべきところが無くなるのではないかと心配して、寝ることもできず、メシも食わないほどであった。
「崩墜」するのは「天」ではなく、「天地」なのです。高校時代に讀んだはずですが、覚えてましたか。
たいていの辞書や「成語辞典」では、「列子」の典拠は、ここまでしか引かれていません。ここまでしか読まなければ、確かに「杞憂だなあ」で終わってしまっても仕方ありませんね。
しかしここにいるひとはみんなおとななので、続きも読みます。
有憂彼之所憂者、因往暁之。
彼の憂うるところを憂うものありて、因りて往きてこれを暁(さと)す。
このひとが心配して寝食を忘れているということを心配するひとがいて、このひとのところに行って説明してやった。
以下、「説明」については現代語訳のみを掲げます。○が説明者の言葉、これに対して、杞憂しているひとの質問が●。
○天は気が積み上がっただけのものだ。天が無くなるというのは気が無くなるだけだ。われわれは身をかがめたり伸ばしたり、空気を吸うたり吐いたり、一日中、(気の中、すなわち)天の中で行動しているだけなのだから、それが崩れ落ちてくる、なんて心配をする必要がどうしてあろうか。
●天が本当に気が積み上がっただけのものであるというならば、日月や星や星座がどうして落ちてこないのだ?
○日月や星や星座は、積み上がった気の中で光輝いている部分でしかない。もしその部分が落ちてきたとしても、ぶつかってケガをするようなことはないのだ。
●どうして地は壊れないのだ?
○地は、土くれが積み上がったものに過ぎないのだ。四方の虚空に土くれが詰まっている。地が無くなるというのは土くれが無くなるだけだ。足を踏みしめ、歩き、走り、飛んだり、一日中、(土くれの上、すなわち)地の上で行動しているだけなのだから、それが崩れ落ちてしまう、なんて心配する必要がどうしてあろうか。
―――これを聴いて、
其人舎然大喜、暁之者亦舎然大喜。
その人、舎然として大いに喜び、これを暁す者もまた舎然として大いに喜ぶ。
そのひとは、すっきりして大いに喜んだ。説明に行ったひとも、(心配していたひとが眠り、メシを食うようになったので)すっきりして大いに喜んだ。
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ぷ。ぷぷぷ。
一見して、○のひとの説明がゲンダイの科学的知識によれば「大間違い」であることがわかりますでしょう。日月、星、人工衛星などは「気の中の光り輝く部分」でしかないのか。落ちてきてぶつかてもケガをしない、のか。地の方はどうですか? 崩れないものなの? 土くれが詰まっているだけだから、土砂崩れも地すべりも地割れも断層もおこらなおのでしょうか。
結論として、「杞憂」していたひと(●)は、正しい心配をしていただけなのではないでしょうか。
ここで、3月11日以前から、30mを越す津波が来ることを心配をしていたひと、原発がバクハツすることを心配していたひと、とかを持ち上げる気は毛頭ないのですが、「杞憂」のひとはこのひとたち同様、まわりの科学的思考能力が無くて「常識」にとらわれているひとたちよりずっと正しくものごとを考え、実際に起こりうることを心配をしていただけだ、ということなのです。
根拠のない心配でも取り越し苦労でも無かったのでございますよ。
さて、人工衛星はどこに落ちてくるかな。3200分の1の確率でおいらのあたまに落ちてくるのではないか。ああ、夜も眠れぬ。しかしハラは減る。