一昨日、昨日に引き続き「列子」湯問篇から、もう一話だけ、音楽関係のお話を。今日はヴォーカルでなくインストの話です。
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伯牙(はくが)は琴の名手でありました。
伯牙には鐘子期(しょうしき)という友人があって、伯牙が琴を弾くとき、いつも彼が傍らで聴いていた。
伯牙鼓琴、志在高山、鐘子期曰、善哉、峨峨兮若泰山。
伯牙琴を鼓するに志の高山の在れば、鐘子期曰く、「善いかな、峨峨たること泰山のごとし」と。
伯牙が琴を弾くときに、高い山のことを思って弾くと、鐘子期は「すばらしいのう。ごつごつとしてまるで泰山のような曲じゃ」と称賛した。
あるいは
志在流水、鐘子期曰、善哉、洋洋兮若江河。
志の流水に在れば、鐘子期曰く、「善いかな、洋洋たること江河のごとし」と。
流れる水のことを思って弾くと、鐘子期は「すばらしいのう。ひろびろとまるで長江のような曲じゃ」と称賛した。
伯牙が琴を弾きながら思うことは、必ず鐘子期に伝わったのである。
伯牙があるとき一人旅をしたとき、泰山の隅で山のうらがわで、
逢暴雨、止于岩下。
暴雨に逢いて、岩下に止まる。
にわか雨に逢って、岩の下で雨宿りをした。
そして、
心悲、乃援琴而鼓之。
心悲しく、すなわち琴を援(ひ)きてこれを鼓す。
悲しい思いに堪えられなくなって、琴を出して曲を作った。
旅から帰ってきて、伯牙はこの曲を弾じてみた。これを聴いた鐘子期は言うた。
初為霖雨之操、更造崩山之音。
初めは「霖雨の操」を為し、更に「崩山の音」を造れり。
「前半は「はげしい雨の曲」だな。後半は「山崩れのうた」と名付けよう」
伯牙は
乃舎琴而嘆曰、善哉善哉、子之聴夫。
すなわち琴を舎(お)いて嘆じて曰く、「善いかな、善いかな、子の聴くこと」と。
琴を押しやり、「ああ」と感じ入って言うた。
「すばらしいのう、すばらしいのう、おまえさんの聴く能力は。
おまえさんの前では、わしはどこにわしの音曲を隠しておけばいいのだろうか」
―――伯牙における鐘子期のような人。これを「知音」(ちいん)という。芸術だけでなく、いかなる世界においても、「知音」を得ることはまことに難しい。
伯牙は鐘子期の死後、二度と琴を弾こうとしなかったという。
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今日のお話は芸術の受容者の側からのものでございましたね。ほかにもいろんなところで応用が効くお話ではありますが。