今日はおメメのお薬もらってきまちた。おいら童子なのに昨日までは年寄とかオトナのふりちててごめんね。
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おいらはむかしむかし、韓蛾ねえちゃんと旅をした。
―――韓蛾というのは古代の名高い歌姫である。ただし、名前は、韓の地生まれの見目良い女(「別嬪さん」)といった意味で、固有名詞とは言い難い。春秋・戦国のころ、いわゆる「中原」のど真ん中である韓・趙あたりには巫女を兼ねた、あるいは巫女くずれのすぐれた歌姫が多かったのであろう。この物語のヒロイン韓蛾もそういった女歌手のひとりであったのであろうと思う。
韓蛾(と太鼓叩きの童子)は、東のかた斉の國に行ったのだった。
ある日、とうとう食べ物の持ち合わせがなくなった。
韓蛾は、邑のお堂の門(「雍門」)のところで、歌をうたいはじめた。
のびやかなブレス、清らかな声に、ひとびとはすぐ集まってきた。そこで、
鬻歌仮食。
歌を鬻(ひさ)ぎて仮食す。
歌をうたって、その代価として食べ物を恵んでもらったのである。
村人たちは手に手に食べ物を持ってきて、彼女に贈った。心から感動したからである。
韓蛾は「いい客だね、ありがとう」と何度も手を振りながらその邑を後にした。
彼女が去った後も、声の響きがまだ残っていた。
余音繞梁欐、三日不絶。
余音、梁欐(りょう・り)を繞(めぐ)り、三日絶せず。
残った声は門の柱と棟木の間をめぐり続け、三日の間消えることがなかった。
邑びとたちはその声を聴きたがって、三日の間、お堂の傍から離れなかったそうだ。
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さて、さらに旅を続けたおいらたちはある町で宿をとろうとちまちた。ところが、宿のやつら、おいらたちをおんなこどもだと侮って、まともに取り扱わない。あげくのはてに、ねえちゃんにほかの客にお酌しろ、と言い出す始末。
韓蛾ねえちゃんは怒りまちたよー。眉毛がぴくぴくしたのでちゅ。眉毛がぴくぴくすると怒ったしるしなのでちゅ。
「それじゃあ、しようがないねえ、あたいらは次の邑に行くよ」
と言いながら、
韓蛾因曼声哀哭。
韓蛾、よりて曼声に哀哭す。
韓蛾は、ゆっくりと、哀切な歌をうたった。
その歌の悲しげなること、たとえようもない。
一曲を歌い終えると、
「さあ、行くよ、肝冷」
「あいでちゅ、おねえたま」
とおいらを連れて隣の邑に向かった。
彼女が去った後、その町ではたいへんなことが起こったのです。
一里老幼、悲愁垂涕相対、三日不食。
一里の老幼、悲愁して涕を垂らして相対し、三日食らわず。
村中の老人とこどもが、悲しみと憂いに沈んでしまい、涙とはなみずを垂らしながら向かい合うばかりで、三日間何も食べようとしなくなったのである。
大人たちは驚き、これがあの歌姫の歌のせいだと気づいて韓蛾を追い、懇願して村に戻ってもらった。
村に戻ると、韓蛾は
復為曼声長歌。
また曼声に長歌を為す。
またゆっくりと、長い長い歌を歌った。
すると、
一里老幼、喜躍抃舞、弗能自禁、忘向之悲也。
一里の老幼、喜躍して抃舞(べんぶ)し、自ら禁ずるあたわず、向(さき)の悲しみを忘る。
村中の老人とこどもは、知らず知らずに楽しそうに躍り上がって手足を打ち、舞い踊りはじめて止まることができなくなってしまった。そして、彼らはさっきまで何のために悲しんでいたのかわからなくなってしまったのである。
韓蛾は
「三日もすればもとに戻るよ」
と言うて、村を発したのであった。
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これも昨日と同じ「列子」湯問篇より。おいら(童子)が太鼓叩きをしているのは、おとなになるのを止めた男の物語「ブリキの太鼓」(ギュンターグラス)を利かせているわけ。
雲を止め、梁(はり)の塵を舞わせる。芸術の究極はそれほどの超常を為す、ということである。老人・こどもに強い影響を与えるぐらいはハメルンの笛吹きにもできるし、今もどこかの町にロックンロールバンドが来れば、町中のガキどもは三日ぐらいはそのバンドの歌を鼻歌まじりに歌っていることだろう。
超常といえば、かつて麻生総理(当時総務大臣)にUFOへの対応について伝説的な国会質問をしたので名高い山根隆治参議院議員が外務副大臣に就任しました! UFOがフレンドリーだといいですねー。