目が赤くなってまいりました。秋の花粉がはじまったか。そういえばもう秋。実りの季節ですなあ。
戦前の旧制高校ではこの時期が卒業の季節でしたよ。なつかしいのう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
薛譚は師匠の秦青さまのところで「謳」(うた)を学んでいた。もう十分学びえたと考え、
自謂尽之。遂辞帰。
自ら謂う、「これを尽くせり」と。遂に辞して帰る。
「学ぶべきことは学べたように思います」と師匠に告げ、帰郷することにした。
師匠は
「そうか」
と言い、
餞于郊衢。
郊の衢(く)にて餞(はなむけ)す。
まちはずれの分かれ道で歓送会をしてくれた。
席上、師匠は
撫節悲歌。
節を撫して悲歌す。
節板(カスタネットの親分のような楽器)を打ち、拍子を取りながら、悲壮な歌を歌った。
その歌の哀なるかな、切なるかな。
声振林木、響遏行雲。
声は林木を振るわせ、響きは行く雲を遏(とど)む。
うた声は林の木々をざわめかせ、空に上って流れる雲を止めてしまった。
超常の歌声であったのだ。
薛譚は背負おうとした荷物を取り落とし、その場で師匠を拝礼して
求反。
反らんことを求む。
もう一度弟子に戻してもらうよう懇願した。
そして、
終身不敢言帰。
身を終うるまであえて帰るを言わず。
それ以降は死ぬまで帰郷するとは言いださなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・
「列子」湯問篇より。技術の奥深さ、学ぶ者の謙虚であらねばならないことの「寓言」とされています。
この話を聞きますと、わたしだったら、師匠の歌の威力を見せられて
「ええもん見せてくれはった。こんなのおれができるようになるはずがない。早くあきらめろ、という師匠のおさとしじゃ」
と認識してそそくさとクニに帰ります。しかし古代人はおおらかだから、自分も学ぼうなどと思うのだねえ。
文中にいくつか、紀元前の社会生活のタイムカプセルのような、すばらしい文字があるので、解説します。
「郊」は漢代の字書「説文」に「國を距(さ)ること百里を郊と為す」といい、「都城」の外の田園地域をいう語である。白川静先生はいくらか「会意」の性質であると認め、二つの「邑」(町)の「交」わる「くにざかい」を指すとしておられる。
「衢」(く。ちまた)は二つの道が交わる十字路をいい、「呪詛や処刑の場所ともされた」「わが国の辻にあたる語である」(白川静「字統」)という。「はなむけ」も前途に邪悪の無いようにする「呪」であるから十字路で行われたのであろう。
「餞」(せん)は今も「餞別」と使う文字ですが、「説文」にいうに「去るを送る食なり」とあって、送別の宴をいう。詩経などに見られるところでは、飲酒する前に強い守り神を着けるための魂振りの儀式を伴ったらしい。
こういう文字見ると、見るだけだけでワクワクしてきますよね。きませんか?