まだ明日はいい日だなあ。日曜日でちゅねー。
・・・・・・・・・・・・・・・・
(昨日の続き)・・・わたしが家に帰ってきますと、弟が待ち構えておりまして、
「兄上、御留守の間に譚なにがしというじじいが来まちた」
と言いながら、ぼろぼろの書冊を差し出した。
「そして、この本を・・・ぷ・・・ぷぷぷ・・・兄上に、よ、読んでほしい、というのでちゅよーーー、ぷぷぷぷ〜」
弟はたまりかねずに笑ったのであった。
「すいません、兄上の帰りを待って中身を少し読んでちまいまちたので、ついつい笑ってちまいまちた」
とにやにやする。
「ひとの書いたものを読んで笑ってはならん」
わたしは弟をたしなめて、譚老人の預けていった書冊を受け取った。
わたしはもともと
性不敢妄測人高下、雖褐夫星卜、必凝思窮幅、度其所以筆起墨止。
性としてあえて妄りにひとの高下を測らず、褐夫・星卜といえども、必ず思いを凝らし、幅を窮め、その筆を起こし墨を止むるの所以を度(はか)る。
性格的に、ひとのレベルが高いとか低いとかを見た目や職業で決めつけることができない。相手が、目の粗い布の服を着た身分の低いひとや星占いを売り物にする占い師などであっても、このひとはなぜ筆をとってこの文章を書きはじめ、墨を置いて書き止めたのだろうか、と思いを凝らし、考えられる限りのことを考えないと気が済まないのである。
そこで、譚老人の書冊―――それは翁の詩集であった―――を手にすると、灯火の下、ひとを遠ざけてじっくりと読んでみた。
・・・む。
・・・むむむ。
・・・むむむむむう。
深読其蟲蛙之音、唾敗之習、已了半帙。
深くその蟲蛙の音、唾敗の習いを読み、すでに半帙を了せり。
ムシの羽音か、カエルの鳴き声か・・・といような音調。唾のように吐き出してしまってそれまでの内容。・・・どう読んでもそんなのばかりでほぼ半分終わった。
「むむむ、これは・・・」
しかし、それでも読み進めて行くうちに、最後の最後に「老夫起病」(じじい病となる)三篇という詩を発見したのである。
その詩は、
如聞其呻吟、如見其枯槁、如扶笻待老友至、如白髪妻在傍喃喃不已。
その呻吟を聞くが如く、その枯槁を見るが如く、扶笻して老友の至るを待つが如く、白髪の妻傍らにありて喃喃(なんなん)已まざるが如し。
まるでじじいの呻き声を聞くようであり、じじいの瘦せさらばえた姿を見るようであり、杖をたよりに立ち上がって年老いた友人の見舞いを待つのを見、白髪頭の老妻がそばにいて、ぶつぶつと言い続けているのを聞いているようだ。
わたしは思う。
余雖年如叟、病如叟、不能為此奥語也。
余、年、叟の如く、病い叟の如しといえども、この奥語を為すあたわず。
わたしがたとえこの老人の年齢になり、この老人のように病んだとしても、このような苦しみを文章に表わすことはできないであろう。
わたしはすぐに筆をとり、老人のもとに、「老夫起病」に感動した旨の手紙を書いた。
それから譚老人との付き合いがはじまった。何度か詩を贈られているうちに、ときどきよいものがあり、それを一篇・一篇と集めてようやく二十三首集まった。
そこでわたしは知り合いの出版屋と相談して、「譚叟詩」(譚老人の詩)を出版することにした。
老人はどうもその話を聞いて、自分の書いたものが広く読まれることが本意ではないらしいが、もとより柴のように痩せ衰えた老人である。ちょっと見には文字など一字も知らないような田舎おやじだ。しかも老人、名は学ということがわかったが、字が無い。ようやくこの年になって、わたしと相談して「訥庵」とつけたばかり。
そんな老人であるから、わたしの次の一言で出版を黙認することになった。
曰く、
安知古工詩者、不尽如此叟歟。
いずくんぞ知らんや、古えの詩に工なる者の、ことごとくこの叟の如からざるを。
むかしより多くのすぐれた詩人が伝わるが、そのひとたちはみんながみんな、この譚老人と違うと言い切れるだろうか。(あなたのようなひともいたのではないか)
だから、あなたの詩も世に遺すべきなのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
譚友夏「譚叟詩引」(「晩明二十家小品」より)。いいっすね。のどかですなあ。著作権もプライバシーも人権保護法も無い時代だから、言いたい放題ですね。
ところで今日、○ュ○○堂というでかい本屋に行ったら、本を読んでいるらしい者たちがごろごろといた。もちろん街中にある店まで出てこれるのだから、恥ずかしくない身なりをしているのである。
わしは僧形であったが、ぶんぶんと六十貫の錫杖を振り回し、最後にどすんと床に突き立てて、彼・彼女らに
「いにしえの詩にたくみなる者の、ことごとくわしの如くでないことがどうしてわかろうか」
と大音声にて問いかけてみたが、見た目とか肩書きとかノウハウとか欧米とか環境とか反原発とか中国経済とか、実にいろいろの耳栓をしているのでしょう、聞こえなかったようです。
ちなみに、譚友夏のこの「譚叟詩引」は遺っていますが、譚老人の詩の方は、今や一篇も残っていませんので、念のため。