明日はいい日だなあ。週末だから。のどかな気持ちでのどかな文章を読んでみまちゅね。
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うちの村から隣の村に行き、さらに向こう、向こうと行って四つ目の村に、わたしと同姓の譚という老人がいる。・・・と言っても、わたしも最近知ったばかりだが。
この老人は少しく学問もあるので、村の童子たちに手習いを教えるのを業としているが、童子たちがみな去ってしまって塾を開こうにも相手がいないときには、
即行吟溝塢間、称詩里中。
即ち行くゆく溝塢(こうう)の間に吟じ、里中に詩と称す。
いつも用水路やあぜ道の間を散歩しながら歌をうたい、これを村びとたちには「詩」だというていた。
村びとたちは鼻で笑い、
牛亦自称作詩耶。
牛もまた自ら詩を作ると称さんか。
「ウシだって鳴きながら、自分では「これは詩だ」と云うんじゃないかね」
「うひゃひゃひゃひゃ」
と評していたが、譚老人はそれを聞いても
「かか」
と笑うばかりであった。
その譚老人、あるとき、わたしの家に来た。
わたしはあいにく外出していた。
数日後にもまた来た。
わたしはまた外出していた。
園丁問翁何事。
園丁問う、翁、何事ぞ、と。
庭番の男が、「御老人、何の御用ですかな」と声をかけた。
が、譚老人はにこにこ笑うばかりでそそくさと帰って行ってしまった。
またしばらくして、老人はわたしの家に来た。
在宅していた弟が老人と面会した。老人は
捜袖中良久、出一帙投之、曰、爾兄帰、為我示之。
袖中を捜すことやや久しく、一帙を出だしてこれを投じ、曰く「爾の兄帰らば我がためにこれを示せ」と。
袖の中を何やらもぞもぞと探していたが、やがてそこから一冊の紙束を取り出すと弟の前に投げ出し、
「おまえさんの兄上がお帰りになったら、これを見せてくれぬか。頼みましたぞ」
と言うたのだった。
弟が拾い上げてみるとぼろぼろで一枚もまともな紙が無いような、破れかけた書冊である。
弟はにやにやと笑いながら、
諾。
「わかりまちたー」
と答えたのであった。・・・・・・・・・・
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続きはまた明日。ああのどかだなあ。台風来てるし、内閣にはいろいろ問題のひとがいるけど、何はともあれ週末だから。「晩明二十家小品」より譚友夏「譚叟詩引」(譚老人の詩について)より。