平成23年8月29日(月)  目次へ  前回に戻る

 

やっぱり月曜日はばてますね。そういえば今日は・・・。

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鄭のひと、車の軛(くびき。車の前部に付ける横木で、牛や馬の首を掛けさせて引っ張らせるもの)を手に入れた。

ところが、それが何であるかがわからない。友人に

此何種也。

これ、何の種ぞや。

「これはいったいどういう品物なのかな」

と訊いた。

答えて曰く、

「車の軛じゃよ」

と。

しばらくして、また同じ物を手に入れた。

そこで、また先の友人に訊いた。

「これはいったいどういう品物なのかな」

答えて曰く、

「車の軛じゃよ」

と。

すると、

問者大怒。

問う者、大いに怒る。

問うた方のひと、大いに怒りはじめたのであった。

曰く、

曩者曰車軛、今又曰車軛、是何衆也。此女欺我也。

曩(さき)の者は「車の軛なり」と曰い、今また「車の軛なり」と曰う。これ、何ぞ衆(おお)きや。これ、なんじの我を欺くなり。

「前回、おまえは「これは車のくびきじゃよ」と言うたではないか。今度もまた「これは車のくびきじゃよ」だと? そんなに同じものばかりあるわけが無いだろうが。おまえはわしをたぶらかそうというのか!」

遂与之闘。

遂にこれと闘う。

とうとうこのひとと喧嘩を始めてしまった。

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あほか。古代人はやはりおろかだなあ。進化しとらんなあ。・・・と思うのはあなたの自由です。あなたが何度も同じモノを与えられて、「今度こそ、今度こそ前のものと同じのはずがない」と思ったことが、無いならば。

「韓非子」外儲説左上より。

人行事施予、以利之為心、則越人易和。以害之為心、則父子離且怨。

ひと、行事・施予(こうじ・しよ)、これを利するを以て心と為せば、越人も和し易し。これを害するを以て心と為せば、父子も離れかつ怨む。

誰かが何かの行動をしたり、何かを与え施したりするとき、その相手の側が、「自分に利益を与えようとしてくれているのだ」と思ってくれれば、遠い他人である越の国のひとであっても仲良くなれるであろう。しかし、相手が「自分に害を与えようとしてしてくるのだ」と思い出したら、たとえ父と子の間柄であっても離間し恨みあうことになるものである。

という「命題」の真である証左の一つとして述べられているお話でした。

勉強になるよね?  

 

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