暑い。そして混乱する経済。格差社会・英国の暴動・・・。もうだめだ。われらがこの生を謳歌してきたシステムは音を立てて崩れていっていうる。もうすぐわれらは滅ぶのであろう。われらの多くは死ぬのであろう。
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死を予感しました場合はどうしたらいいかと言いますと・・・。
(1) 陳体方の例。
明の陳体方は一時期、詩人として江南一帯に名高かったひとである。
彼はある日、
頭戴野花、肩輿徧遊田間。
頭に野花を戴き、肩輿して田間を徧遊す。
頭の上に野の花の花冠を載せ、ひとの肩車に乗って郷里の田野をさまようように廻った。
そして、到るところで酒杯を挙げ、また出会ったひとに薦めた。
かくのごとく、
狂酔三日、乃捐世。
狂酔すること三日、すなわち世を捐(す)つ。
三日の間というもの酔い狂うて、そしてこの世から去った。
・・・なるほど。
(2)黄九烟の例。
これも明の詩人、黄九烟は晩年に至って、名を人、字を略似(ほぼだいたい)と変えた変わり者であったが、七十歳になった日、
仰天歎曰、嘻。而今不可以死乎。
天を仰いで歎じて曰く、「嘻(ああ)。而今、以て死ぬべからざるか」と。
天を仰いで、嘆声をあげて、言うた。
「ああ。今日は、もう死んでもいい日であろう」
自撰墓志、作解脱吟十二章。
自ら墓志を撰し、「解脱吟」十二章を作る。
自分で墓に刻むべき略歴を記し、また「解脱のうた」十二篇を作った。
それから
縦飲而沈於水。
縦いままに飲みて、水に沈む。
好きなだけ酒を飲んでから、川に身を投じた。
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どちらも「元明事類鈔」巻二十五より。
おいらは童子でちゅから、まだまだ死ぬことはないだろう、幼いから死のことなどわからないだろう、と思われておりますが、実はほとんど一日中、死の事を考えているのでちゅ。病的かも。そういえば明日はネットでは大地震が予言されている日でちゅよー。童子だから理性が足らないので、デマに影響されやちゅいの。うふふ。