ほんとに見つかりません。涙出てくる。しかたありませんので、無責任にも蜘蛛ばばあとの戦いは明日以降の延長戦に入ります。
それはそうとして、今日はイカめらを飲んできた。あまりおいしうございませんでした。治療を行うこととなった。
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ところで、わたしが門を閉ざして誰とも会わなくなってからもうかれこれ三か月ぐらいになります。平生より読書して、身を潔くしてまいりましたから、こうなると誰も声をかける者はない。声をかけてくる者といえば、
郷曲小児、忌謗相加。
郷曲の小児、忌謗あい加う。
このあたりの悪がきが、わしのことを罵るぐらいである。
ふはは。
ひとり、室中に静かに座して思う。
国家所重者人才、君子所惜者名行。
国家の重んずるところは人才にして、君子の惜しむところは名と行なり。
国家が重大視するのは人材の育成であり、君子人が大切にするのは名誉と品行である。
しかし、現在の風吹き波騒ぐ混乱の世の中、けしからぬ小人どもがひとに担がれながら落とし穴を掘る。何も知らないひとをその穴に追いやって、そのひとたちに名誉と品行が大切だとは思わせないでいるのだ。
よく考えていただきたい。
其如国家人才一路何。人才壊而国事壊。国事壊而士大夫身名爵位与之倶壊。吁可懼也。
それ、国家人才は一路なるを如何せん。人才壊るれば国事壊る。国事壊るれば士大夫の身名・爵位こととともに壊る。吁(う)、懼るるべきなり。
国家と人材とは同じだと考えるべきではないのか。人材が崩壊すれば、国家のなすことは崩壊する。国家のなすことが崩壊すれば、士大夫階層のニンゲンの名誉も爵位もすべて崩壊する。ああ、恐れなければならないぞ。
と思いました。
しかしながら、
不佞帰矣。
不佞、帰らんとす。
わしはもう帰るんですわ。
有屋可居、有田可耕、有書可読、有酒可沽。
屋の居るべきあり、田の耕すべきあり、書の読むべきあり、酒の沽(か)うべきあるなり。
住む家は一応あるし、耕すべき田畑もいくばくかあるし、読むべき書物はたくさんあるし、何より買って飲むべき酒がある。
速去為幸、扁舟已買江上矣。
速やかに去るを幸いと為し、扁舟すでに江上に買えり。
はやいとこいなくなるのが幸いでございます。もう引っ越しのための小舟は買うてあるし。
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以上、明・張侗初「与姜箴勝門人」(弟子の姜箴勝に与う)(「晩明二十家小品」)より。無責任きわまりなし。「韓流に欺かれず、せめて竹島だけでも守り抜こう」ぐらい言ってもらいたいが。