今日は「笑府」の読解について、すごくエライ方から御教示をいただく。どういうことであったか、少し整理が必要です。整理してからみなさまにも教えてあげますよお。
まだまだ思索も学問も経験も足らぬ。わが道の遠いこと、まことに九万里の彼方まで燕雀の志と翼で行くごとく、尽きることなし、である。
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ところで、今日道を歩いていたら明の徐文長から声をかけられました。
徐文長は名を渭といい、憤激して女房を殺し、興奮のままに自らのキン○マを鉄槌でつぶした、という過去のあるひとですから、話を聴こうかどうか悩みましたが、勝手に話しかけてくるのでさえぎることもできず聞かされました。
「わしの夢を聴いてくれ。・・・・・・・・・・・・・
深い山に入って行った―――と思ったら、いつの間にか平地に出ていた。真昼間で、道は広く平坦、幅は何十メートルもあるのだが、表面に瓦が敷き詰められているわけではなかった。
ずうっと歩いて行くと、山に突き当たった。山の下に南向きにいくつかの役所らしき建物が並んでおって、辺境守備兵が数十人、ここを護っているのだ。
異鳥獣各三四、羈其左、不知其名。
異なる鳥獣おのおの三・四、その左に羈(つな)がるも、その名を知らず。
おかしな形の鳥と獣、どちらも三、四種類、建物の左側の空き地につながれていたが、なんという鳥獣なのか名前もわからない。
もう少しはっきり見たい―――と思うて、そちらに近づいていったとき・・・・・
署地忽震、幾隕。
署地たちまち震え、ほとんど隕ちんとす。
役所の建っている場所が突然震動しはじめ、建物は崩れ始めたのだ。
「!」
見上げると、北の山の上の方に青い松の木が茂っており、そのすがた、まったく碧い鳥の羽のごとし。
わしはそちらに向かって走った。
―――どこをどう走ったのであろうか、わしは道観(道教のお寺)の門の前に立っていたのだ。
ずっと以前にどこかで見たような気のするお寺であった。
門番がいた。よく顔は見えないのだが、わしにたいへん同情してくれているらしく、お寺のあるじにわしが来たこと、わしをこの寺に留めてやってほしいことを告げてくれた。しかし、寺のあるじの道士は黄色い冠をかぶり布の服を着て、門のところでわしに言うたのだ、
此非汝住処。
これ汝の住む処にあらず。
「ここはおまえの住むところではない。」
一礼して戻ろうとしたら、すう、とその道士は大きくなった。門よりも大きくなる。
そして、帳簿を見ながら、わしの背中に向けて
女名非渭、此哂字是汝名也。
女(なんじ)の名は「渭」(イ)にあらず、この「哂」(シャ)字これ汝の名なり。
「おまえの名前は「渭」ではないのだ、「哂」というのが、おまえの本当の名なのだ」
と言うた。
「?」
わしは振り向いた―――
「おお」
さっきまで立派なお寺と見えたのに、
観亦荒涼甚、守門及主亦並繿縷。
観もまた荒涼甚だしく、守門と主もまた並びに繿縷(らんる)たり。
お寺は荒れ果て、門番もあるじの道士も、どちらもぼろぼろの衣服が残っているだけであった。
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「だ、だったらどうだというのですかあ?それは「晩明二十家小品」に出てくる「記夢其一」(夢を記す、その一)という文章ですよね、ではさよーならー」
わしはイヤになって逃げだした。
「待て待て、次が・・・」
と追いかけてくるのですが、わしは逃げ出して、何とか→これに間に合いました。
ところで、徐文長の夢、たいへん近代的なのを感じていただけましたでしょうか。徐文長の天才、四つぐらいは世紀を超えて、漱石先生「夢十夜」なんかよりさらにゲンダイの香り漂うようではありませんか。たとえそれが腐臭でありましたとしても。
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ただいま満鉄社歌「東より光は来たる」(戦後に東海林太郎が吹き込んだものですが)を聴いております。
――共にす睦み 睦みの歌は
聴け 崑崙の峰 撼(ゆる)がすがごとく響けるを (詞・山口慎一)