ギ、ギギギ・・・ワタ・・・ワタ・・・ワシハ・・・肝冷斎・・・。ナ・・・ノジャ。ギギギ。(せっかく「もんじゅ」の作業は成功したのですが、肝冷斎に何かあったようですよ。もしかして誰かが新しい仕事をさせたからじゃありませんか?)
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明のころ、江蘇・江陰の王懼斎というひと、ある月の明るい晩、そばに息子と甥っ子がおるときに、向かいの山のお寺のあたりから煙が立ち昇っているのを見て、
山館茶煙飛入白雲添雨意。
山館の茶煙、飛びて白雲に入り、雨の意を添えたり。
山中の僧舎から茶を煮る煙が上がり、飛んで白雲に混じり入った。まさに降ろうとしている雨がさらに近づく。
と言いまして、息子と甥っ子に「対語」を求めた。
息子は、「うーん」と考えてこみました。
甥っ子の方は、声に応じるかのように答えた。
溪庭砧杵乱敲明月雑秋声。
溪庭の砧杵、乱れて明月に敲き、秋の声を雑(まじ)えたり。
谷間の家で衣打つ「きぬた」の音が、不規則に乱れながら明月の下に聞こえてきた。その音は秋の物悲しい響きを含んでいる。
すばらしい。
息子の方はまだ「うーん」と考えている。
いつまでも、寝るべき時間になるまでも考えていたので、
懼斎怒而撻之。
懼斎、怒りてこれをむちうつ。
王懼斎は怒って息子をムチで打った。
ということである。
けれど、息子の方は正徳丁丑年(1517)に科挙に合格して進士となった。甥っ子の方は書生のうちに窮乏して死んだ。
才之不足以観人如此。
才の以て人を観るに足らざることかくの如し。
このように、才能だけでそのひとの値打ちを評価することはできないのである。
―――わしにも豊かな値打ちがあるかも知れんのだ・・・なのに、やつらは、わしを一面だけで評価して・・・。
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明・李詡「戒庵老人漫筆」巻六ヨリ。
コノ言葉ヲ呟キナガラ、肝冷斎ノ本体ハ今朝方ツイニ・・・ギ、ギ、今日カラハワタ・・・ワシガ本体・・・ナ・・・リ・・・。