平成23年6月25日(土)  目次へ  前回に戻る

 

今日はひばりケ丘の古書店で、1990年国書刊行会復刊の

阪口五峰編著「北越詩話」上(大正七年)・下(大正八年)

が売られておりましたので、

「ひひひ、わしは以前からおまえを狙っていたのじゃ。さあ、わしのものになるのじゃ」

といやらしい手つきで手にとりまして、カネの力で自分のものにしました。

五峰・阪口仁一郎(本名は坂口)は安政六年新津の生まれ、漢学を学ぶが結婚後に英学を学ぶべく出奔して上京、生家に連れ戻されたという経歴を持つ。帰村後も家族と衝突しつつ、地租改正に奔走して郡会議員、県会議員、後にはさらに衆議院議員となった。実業においては新潟米商会所会頭代理、新潟新聞社長。大正十二年没。明治・大正期の越後の政治家、経済人、郷土史家、漢詩人である。(詳しくは夷斎・石川淳先生の「諸國畸人傳」を参照のこと。ゲンダイの中央のこぎれいな方々たちには「阪口安吾が衝突した封建的なおやじ」の一言ですまされてしまっているかも知れませんが、おやじの方があらゆる意味でエラい)。

さて、全十巻+補遺一巻、合わせてほぼ二千ページ、一千余人の伝を収める浩瀚の書「北越詩話」を

えい!

とめくったら次の詩が出てきました。

湖中作

独在他郷憶旧遊。  独り他郷にありて旧遊を憶う。

不聞湘瑟亦風流。  湘瑟も聞かず、また風流もなり。

団団影落湖心月、  団団たる影は落つ、湖心の月、

天上人間一様秋。  天上・人間 一様の秋。

○琵琶湖のほとりにて

 ひとり他郷に暮らして、むかしの月見を思い出したのじゃ。

 (今宵は)湘水の瑟(おおごと)も聞こえないし、風流(ふりゅう)の歌も聞こえない。

 まるまるとした影を月は湖のど真ん中に浮かべている。

 空の上もニンゲン世界も同じ秋のさまぞよ。

「湘瑟」は女房か恋しい女の弾く琴の音をいうのであろう。「風流」は当時のはやり歌をいうのであろうが、前の「湘瑟」の女色に対せしむると、どこかに衆道のにおいも漂うているように思う。

なにしろ作者は、「愛」といえば「衆道」なり、という時代のひとです。晩年に鉤斎と称した。

さて、このひとは次のうちの誰でしょうか。

1. 良寛さん

2. 上杉謙信

3. 直江兼続

4. 真野鳴謙

5. 山本勘介

6. 山本五十六

このひと、大津で藤原惺窩に会うて、ただ一つだけ教えを乞う、と言うて、

夫継絶扶傾、当今之時、将可行否。

それ、絶を継ぎ傾を扶くる、当今の時、まさに行うべきや否や。

さてさて、絶えようとしている家を助けて遺児に政権を継がせるという「春秋」の正義は、ゲンダイにおいても実行してよろしいのでござろうか、否か。

と問うたひとである。藤原惺窩は無言を以て対応し、後に人に

「あの男、まだ家康さまとやり合う気か・・・」

と歎じたという。(「先哲叢談」

ちなみに生涯妻帯しなかった惺窩も、当時のひとですからおそらく衆道ファンだったと思われます。

 

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