ああ。人生は苦しい。
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王蜀(いわゆる「前蜀」のこと。907〜925)の趙雄武は、いくつかの郡を渡り歩いた中堅の地方官僚であったが、
精于飲饌。
飲饌に精なり。
飲食にうるさい、いわゆるグルマンであった。
彼の家には
○趙大餅 (趙家の巨大だんご(ピン))
と呼ばれる名物料理があり、
毎三斗麺扞一枚。
つねに三斗の麺を一枚に扞(かん)す。
「扞」は「扌幹」とも書き、手を以て物を伸ばすこという。
三斗分の麦の練り物を手延べさせて一本の細長い麺にするのである。
伸ばして行くと、
大于数間屋。
数間の屋より大なり。
数間の家の端から端まで引っ張って往復させていき、この家にいっぱいになるぐらいに延びる。
この趙大餅はどこかの家で一族総出の宴席があるようなときに、これを一本、趙家から贈るのである。
贈られた方の家ではこの一本を人数分に切って、汁に入れたり餡を包んだりして食べるのだが、人数分に切っても必ず
猶有余。
なおあまりあり。
みながハラいっぱいになって残すものが出る。
というので有名であった。
其方不伝。
その方伝わらず。
その製法は現代(宋代)すでに伝わっていない。
とのこと。(宋・孫光憲「北夢瑣言」より)
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明の正徳年間(1506〜21)、お偉方の宴席には、
○駝鳥卵
という物が出るのが常であった。
これは、鶏卵やガチョウの卵などを数百個も使い、よく水洗いしたウシの子宮に入れて茹でて客に献上するものであるが、この子宮を割ってみると、
不知何術分黄白。
何の術なるかを知らざれども黄白を分ず。
どういう方法なのかわからないが、白身の中に(何百個分かの)黄身ばかりが固まって茹で上がっていた。
また、
○大饅頭
というものがあり、これは人間のあたまよりもはるかに巨大な饅頭である。
蒸熱而当席破之、中有二百許小饅頭。
蒸熱して席に当たりてこれを破れば、中に二百許りの小饅頭あり。
あつあつに蒸して宴席に出してくるのだが、これをお客の前で割ると、中から二百ばかりの小饅頭が出てくる、という趣向であった。
小饅頭の中にすべて餡が詰まっており、よく熱が通っていたということである。(以上、「朝野異聞」より。)
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と、明・馮夢龍の「古今譚概」巻十四に引用されていた。
今日は食い過ぎたのである。なぜか一人で。