内ゲバのこと。
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春秋の時代、魯の国の大夫・公父文伯(こうほぶんぱく)(A)なるひと、同じく大夫の
南宮敬叔(B)
露賭父(C)
を招いて、宴席を設けた。
いつもながら春秋時代のひとは名前がめんどくさいので、以下、A=イカ、B=タコ、C=クラムボンと表記します。
もともとイカはタコと何らかの理由から席を設けたかったようなのですが、そういうときには一対一では飲まないことにする習いであったので、クラムボンを上客として招いた、という事情があったそうです。
ところが、宴席の途中から、クラムボンがなんとなくイライラし始めているようであった。
何故かと言うに、
羞鼈焉。小。
鼈を羞(しゅう)とす。小なり。
メイン料理としてすっぽんを茹で始めたのだが、そのすっぽんが小さかったからだ。
さて、すっぽんを湯から上げ、
相延食鼈。
相い延いて鼈を食らわんとす。
「さあどうぞ」とすっぽんが主客の前に並べられた。
するとクラムボンは、
辞曰、将使鼈長而後食之。遂出。
辞して曰く、「まさに鼈をして長ぜしめて後にこれを食らわん」と。遂に出づ。
すっぽんの皿を押し返し、
「すっぽんをもっと成長させてから、食べさせてくだされ!」
と怒りをあらわにして帰宅してしまった。
―――食べ物の多い少ないで内ゲバとはなんだ。怪しからん。
と思いましたが、イカの母は、このことを聴きつけてイカを叱りつけた。
吾聞之先子。曰、祭養尸、饗養上賓。鼈於何有。而使夫人怒也。
吾はこれを先子に聞けり。曰く、祭りには尸を養い、饗には上賓を養う、と。鼈において何ぞあらん。而るに夫(か)のひとを怒らしむ。
「わらわは、亡くなったお義父さま(すなわちおまえの祖父様)から、家の教えとして次のようによく言われたものですわ。
(氏族の祭礼である)ご先祖さまの魂祭りでは、(ご先祖さまの身代わりとして一族の幼児がなる)「形代」(かたしろ)に気にいられるようにしなければならぬ。(地域共同体の祭礼である)饗宴においては、(地域の統合の象徴である)上客に気に入られるようにしなければならぬ。
と。すっぽんなんていくらでも代わりのあるもの。なのに、小さいすっぽんを使って、上客であるあのお方さまを怒らせてしまうとは・・・」
「きいい!」
遂逐之。
ついにこれを逐(お)う。
こう言うて息子のイカを追い出してしまったのである。
イカはクラムボンに謝罪し、クラムボンからイカの母に詫びを入れてもらって、五日後にやっと家に帰ることができた。
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いにしえにはかような道義があった、ということを言うお話です。「国語」・魯語下より。
このお話、「蒙求」に引かれて「文伯羞鼈」という標題になって、人に進める食べ物には気を使わないといけない、ような教訓になりました。
今日は昼、上司とシナ料理を食いに行き、麻婆炒飯というのを食うたが、辛く、量多く、つらかった。しかも、わしが上司にもお進めしたようになってしまい、上司の信頼を完全に失うはめとなった。おそらくもうチャンスは与えられぬであろう。表のしごとはもうがんばっても裏目にしか出ないのです。(>_<)。。。
ところで今日はどこかのエラいひとたち、エラいことしてしまいましたねー。道義が無いのだ、勝ったという方ももうおしまいだ。国と民までもろともなのが困ったことに思います。