平成23年5月8日(日)  目次へ  前回に戻る

朱晦庵「大学章句」を開くと有名な序文に続けて本文に入る―――前に、題名の「大学」の「大」に注して

大、旧音泰、今読如字。

「大」は旧音は「泰」、今は読んで字の如し。

と書いてあるです。

「大学」の「大」の字は、むかしは「タイ」と読んだが、今は「ダイ」と読んでいるよ。

というのである。

これには実は意味がありましてね。

いにしえより、「大学」という言葉の意味について、二つの考え方があるのだ。

@   「学校」の名である。

古えの教えなるものは、家に「塾」あり、党に「庠」(しょう)あり、術に「序」あり、国に「学」あり。・・・これ、「大学」の道なり。(礼記・学記篇)

古代の教育制度というのは、「家」(が二十五戸集まった「閭」(りょ)=集落)ごとに「塾」があり、塾で教えを受けた者は、五百戸集まった「党」ごとに「庠」があってここに進み、庠で教えを受けた者は、一万二千五百戸集まった「州」(「州」を「術」ともいうたのである)ごとに「序」があってここに進み、、序で教えを受けた者は国にある「学」に進む。・・・これがいわゆる「大学制度」というものである。

というが如し。

A   「大学」とは「大人」(立派な人物)になるための学問の意であり、制度ではなく内容の面に着目していう語である。

朱晦庵は自ら

大学者大人之学也。

大学なるものは大人の学なり。

「大学」とは立派なひとの学問をいうのである。

と注しているとおり、本質的にAを採るひとなのであるが、一方で、天下に王者は一人しかいない(それが我が南宋の皇帝である)、それ以外の国君(たとえば「金」とか「西夏」とかの君主)はニセモノか真の王者から権限を仮託された者である(はずである)という政治観(当時の南宋の臣民であればまことにまともな考えである)を持っていたひとであるので、

○国に一つしかない「大学」は世界中に一つしかない(はず)。だから「たった一つ」の意の「太学」である(はず)。

という結論に達し、「大学」はいにしえは「太学」であった(はず)、と言っているわけなのである。

いやあ、たった一語の読みにも、いろんな意味があるのですねえ。

この「はず」「はず」で論理を組み立てて行くところが「理学」の神髄(ドイツ哲学もこんなのなんでしょうか)でして、これはこれで、嵌まると面白くてしかたがない。わたくしも四十歳ぐらいまでは嵌まっておりました。

その話はまたいずれ致すといたしまして・・・

・・・ところで、みなさん、「学」の旧字「學」の上の方の「E××ヨ」という字形が気になってしかたが無くなってきませんか。

なってこない? いや、なってくるはずですぞ。ほらほら、なってきましぞー。

この字形記号はそんなに頻見するものではありませんが、鷽(ガク。カササギに似た鳥であるという)、覺(カク)などに見られます。

「説文」ではかなり苦しい説明しております。

もともと「教」の字に「ワ」と「臼」を加えたのだ。「臼」は音符であり(キュウがガクの音符になる、というのも不思議なことですが)、また「奉持する、捧げ持つ」の意味があるので、教育の場を意味する。「ワ」は「子」を覆っている愚かさを表す。そのような愚かさを取り去る場が「學」なのである。

という。

たいへん無理をしている感がありありである。

「臼」の中に「爻」があり、「臼」は「興」とか「與」の字形にも見られるものですが、両手で真ん中のものを持ち上げることを表しております。つまり、易占や算数術に使う「爻」(並べたり交わらせたりして数字や記号を表すのに使う棒)を両手で扱っていることを示し、そのような場所・状況を指すのが「E××ヨ」という字形記号で、そこに、コドモがいるのが「學」、そこで「発見されること」が「覺」なのだ。

これも説明が過ぎているような気がします。いにしえの文字を造ったひとたちは、そんな「頭で考える」ようなことで文字を造っているわけがない。

甲骨文字での初形までさかのぼって、この「學」の字の上半分の字形記号の意味を解き明かしてくだすったのが白川静先生で、先生の解明によりますと(「字統」による)、この記号は、

もと屋上に千木のある建物の形で、いわゆるメンズハウスを意味した。・・・卜文にみえるメンズハウスの建物は千木形式で、わが国の神社形式と似ており、そこで秘密講的な、厳しい戒律下の生活がなされたのであろう。・・・

ということなのであります。

千木形式の建物は、現在、日本と雲南地方に見られ、かつてのシナ大陸南部にいた百越の一である「倭人」の俗だったと思われるのですが、甲骨文字の時期に既に倭人の俗が殷人に取り入れられていたのか、この習俗は広く既にシナの河南にも広がっていたのか、あるいは文字を創造したのが百越そのものだったのか・・・もう少しベンキョーしないと白川先生の説に「まったくですなあ」と頷ききれないのですが、それでもなお、白川説を読みますれば、なんとなく「わかった!」の気分が沸いてくるから不思議ではございませんか。これが「説得力」というものなのでしょう。

 

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