平成23年4月1日(金)  目次へ  前回に戻る

 

だいぶん疲れてきた。誰かの役に立っていればいいのですが・・・。

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撫州・金溪県の町の近くに、

有一蛙。状貌絶大、猙獰可畏。

一蛙あり。状貌絶大にして、猙獰(そうどう)畏るべし。

一匹のカエルがいたのだ。しかし、このカエル、ただものではない。

その見てくれは人よりも巨大にして、獰猛で恐ろしい姿であったのだ。

「そんなカエルがいるのかな?」

とその地のひとに問うてみると、その地のひとは答えていう。

「そのカエ・・・いや、あのお方さまのことですか・・・。あのお方はわが町の近くに、すでに東晋のころ(3〜4世紀)には住み着いておられたと聞き及びまする。その後、行商する者たちが崇め拝むようになり、また病に苦しむひとびとが信仰して、それぞれにあらたかな功験があったと申しまする」

やがてこの地に赴任する役人たちまで祭祀に参加するようになり、その名を尊んで、

青蛙使者(天使のアオガエルさま)

と呼ぶようになった。

アオガエルさまは

其隠見無常、有終身不得一見、亦有一人屡遇者。

その隠見常無く、終身に一見を得ざるもあり、また一人にしてしばしば遇う者もあり。

姿を現すことと隠すこと、まったく規則性がない。一生に一度もそのお姿を見ることの無い者もあれば、何度もお姿を拝見する者もあるのだという。

まことに霊的なるものである。

さてさて、カエルといえば頑冥なること比べるものもないほどの下等な生物。それなのに何千年も命永らえ、今に至るもお役人のような知識人さえこれを礼拝するという。

可怪也已。

怪しむべきのみ。

不思議でしようのないことじゃ。

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清初・浙江の蒼水先生・董含「三岡識略」巻四より。康熙元年(1662)の見聞である。

カエルさまを神と拝むことは、当HPでもすでに清末の事例を紹介したことがありますし、本朝においても名高い二見興玉神社の例などもありて特段に珍しいことではない。しかもこの事例では、

@   でかい

A   獰猛である

B   千五百年生きる

C   見えたり見えなかったりする

という不思議な力が確認されており、これほどの霊力がある以上、知識人クラスの者が信仰するのは当然であろう。

「革命」とか「革新」とか「改革」とか「刷新」とか「ピース」とか、カシコい人たちは多くの姿が見えもしないものを信仰できるらしいから。この未曾有の事態の中でも。

エプリルフールだから言っているのではありません。エプリルフールは今年は三か月延期になったのだから。

 

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