平成23年3月18日(金)  目次へ  前回に戻る

 

ナ●ツネよ、●んよ、●ん●くよ、●●●スよ、こんな状況でも地位や金が大切なのか。

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ところで、シナ明代の科学精神を代表する宋応星「天工開物」(五金第八)を閲するに、

人有十等。自王公至輿䑓、欠一焉而人紀不立矣。

人に十等あり。王・公より輿・䑓に至るまで、一を欠くとせば人紀立たず。

ニンゲンには十の身分がある。上位の王・公から下位の輿・䑓まで、(十の身分のうち)一つでも無くな(り踏み越えられてしま)ったら、人類社会の秩序は保たれなくなるであろう。

とある。

ちなみに「人に十等あり」とは、左氏伝・昭公九年

王臣公、公臣大夫、大夫臣士、士臣阜、阜臣輿、輿臣隷、隷臣僚、僚臣僕、僕臣䑓。

王は公を臣とし、公は大夫を臣とし、大夫は士を臣とし、士は阜を臣とし、阜は輿を臣とし、輿は隷を臣とし、隷は僚を臣とし、僚は僕を臣とし、僕は䑓を臣とす。

王は公をめしつかい、公は大夫をめしつかい、大夫は士を、士は阜を、阜は輿を、輿は隷を、隷は僚を、僚は僕を、僕は䑓をめしつかう。

の記述に拠る。王@、公A、輿E、䑓Iであるから、意外と「輿」は上の方である。

・・・そうか。なるほど。

科学的なので勉強になります。

同様に、

大地生五金、以利用天下与後世。

大地は五金を生じ、以て天下と後世を利用す。

大地は(はるか原始に)五種類の金属を生じて、世界中の未来の人民の利用に供したのである。

この「五金」にも貴賤あり、黄金は黒鉄の1万6000倍の価値があるのである。

「五金」と言いながら、宋応星はなぜか

黄金、銀、銅、鉄、錫、鉛

の六種類を挙げているのは変な気がしますが、そこらへんも古来よりの五行説のとらわれない科学精神なのでしょう。

黄金は五金の長で溶かして形を正したのちは、永遠に変質することがない。チュウゴク全土では約100か所、黄金のとれるところがあるそうですが、たとえば広西の夷獠洞の金鉱から産出されるものははじめ黒鉄のように見える。しかし純度が高く、

初得時咬之柔軟、夫匠有呑竊腹中者、亦不傷人。

初めて得るの時、これを咬めば柔軟にして、夫匠の竊かに腹中に呑む者あるも、またひとを傷つけず。

採れたての時にこれを食べると柔らかく、鉱夫の中にはひそかに食べてしまうやつもいるが、腹を壊したりすることはない。

下から出てきたときには「黒鉄」が「黄金」になっている、という寸法である。

地方によってはガチョウやカモの糞を集めるところもある。

これを集めて

淘出片屑者。或日一両、或空無所獲。

淘して片屑者を出だす。あるいは日に一両、あるいは空しく獲るところ無し。

「淘」(トウ)は「淘汰」の「淘」ですが、「よなーぐ」と訓ず。「水にてゆりよどませて善きと悪しきとをよりわける」ことである(簡野道明「増補字源」)。

水で薄めてよどんだ中から金くずを選りだすのである。一日に多くて一両、まったく得られぬ日もあるという。

明代の一両は40グラム弱であるから、採れる日はかなり採れるようであるが、こちらは「黄金」の中から黄金を選りすぐる、というわけである。

なんだか本当のような、そうでもないような、信じていいような、信じているとどえらいことになってしまうような・・・あ、もしかしたら、それこそ科学というものの本質か。

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こんなときにこんな本読んでこんなこと書いていて、自分がいやになってくる。

 

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