たくさん亡くなっているだろう中で、こんなこと書いて何になるのか、は、さておきまして。
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南朝・斉の江泌、字・士清は心優しいひとで、魚肉の食を避けたが、野菜を食べるときでも
菜不食心。
菜、心を食らわず。
野菜の芯に当たる部分は食べなかった。
ひとがそれをいぶかしむと、
其有生意。
其れ、生意あり。
それ(野菜)にだって生きようという思いがありますから。
と答えたという。
また、家人が衛生のため着物から綿を取り出して日干しにしておいたところ、
「何をしているのか」
と慌てて着物の中に入れなおした。
そして、
恐虱飢死。
虱の飢え死なんことを恐る。
「シラミが(わしの血を吸えず)飢え死にしたらどうするのだ」
と言うたというのである。
・・・と、「南史」巻七三「江泌伝」に書いてあるのだ。
しかし、ねえ。
五穀都有生意、何以独食。為一虱大費周折、又可笑。
五穀すべて生意あり、何を以てひとり食す。一虱のために大いに周折を費やす、また笑うべし。
(野菜でなくても)米・麦等の五穀にだって生きようという意識はあるのではないか。なのにどうしてそちらは食べられるの? 一匹のシラミのためにずいぶん骨を折って世話をしてやるのもおかしなことだよね。
とわたし(←筆者の墨憨斎主人。肝冷斎にあらず)は思いますがね。
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と、墨憨斎こと明の馮夢龍「古今譚概」(迂腐部第一)に書いてあった。
ゲンダイでいうと次の誰に近いと思いますかな?
@ ア●ネス・チャンさん
A ナベ○ネ主筆
B か×総理