この寒い中でもニンゲンは相争うている。イヤになりますよ。
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さて、清の乾隆のころ、南昌の町で、
有鶴為民犬所斃。
鶴、民犬の斃すところとなる有り。
一羽のツルが、民家のイヌにコロされたことがあった。
ところが、この鶴には、
有金牌。
金牌あり。
黄金の札がつけられていたのである。
すなわちどこかの貴顕の家の飼い鶴だということだ。
案の定、ある王のもとから南昌太守のところに、
―――貴下の治める郡民が我が藩の所有する鶴を斃したのだが、貴下は如何なる形で責任をとられるのか。
と言って寄越した。
このときの太守は張思南、字・汝舟というひと、
「王家からの訴えでは放っておくわけにもいくまい」
と即座に裁判を開いて、判決文を書いた。
その判決文に曰く、
鶴雖有牌、犬不識字、禽獣相残、与人何与。
鶴に牌ありといえども犬は字を識らず、禽獣相残(そこな)うも人と何ぞ与(あずか)らんや。
ツルに札がついていたとしてもイヌは字が読めないのである。鳥が獣に虐せられたとしても、それが人間に何の関係があろうか。
イヌを飼うていた民家には何のお咎めもなく、王家の使いの者に判決文を持たせて帰らせたので、人民たちは快哉を叫んだということである。
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龔巣林「巣林筆談」巻五より。
人治主義社会の中でこのような判決を出したのは、立派なことである。