明日は朝から会議である。朝はやいと寒いのでイヤです。
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さて、みなさん、みなさんの漢字のチシキを試しますよ。
という字をご存知ですかな。
唐・玄宗皇帝の開元二十九年(741)、古代に函谷関の跡地だといわれる土地から不思議な石板が掘り出された。
その石板、
白石赤文、正成緕噤B
白石にして赤文あり、まさに「縺v字を成す。
白い地に赤い色の模様があり、その模様は「縺v字の形をしていた。
ひとびとがその意味に頭をひねっていると、ひとりの老人が現われ、
緕メ四十八字也。
「縺vなるものは「四十八」の字なり。
「縺vという字は「四十八」を示す文字じゃ。
と告げた。
なるほど、分解してみると、
十
十 十
十
八
になる。
ひとびとが頷いていると、老人は、
示聖上。
聖上に示せ。
「これをみかどにお知らせせよ。
これがみかどの
御歴数也。
御歴の数なり。
天下を知らしめられる年数であるぞ。」
と言うて、かき消すように見えなくなってしまったのだった。
玄宗皇帝は先天元年(712)に即位なされて、この年で31年になる。@これに17年を加えて48年というのか、Aこれから以降さらに48年というのか、は明らかならねども、さらに何十年かこの盛んなる世が続くというのじゃ。
これはめでたい。
とにかく不思議なことだということで、すぐに都に知らされたが、あっという間に民間にも伝わり、
天下歌之。
天下これを歌う。
世の中では、めでたいしるしだというてこの石板のことを歌にして歌った。
この石板は天から下された宝である、というので、これを記念して、翌年、元号を「天宝」と改めたのであった。
さて―――
天宝十五年(756)、安禄山の乱に追われて玄宗皇帝は蜀に亡命し、位を子の粛宗にお譲りになられた。
短い方の@説にさえ三年ほど足らなかったのは、帝の徳が衰えたからであったのだろうか、臣下の真心がいたらなかったのであろうか。
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宋・銭易「南部新書」壬巻より。
何がいたらなかったのでしょうね。
ちなみに、「縺vという字、「正字通」によれば、「ソウ」と読み、「桑」の俗字である、という。