平成22年12月27日(月) 目次へ 前回に戻る
年の暮れに、人生の暮れ方にあるのを自覚して焦る。
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行き倒れである。
ほとけは若く美しい歌妓である。
「あわれなことじゃ」
土地のひとたちがカラスやムシの餌食になる前に葬ってやるべく相談しているところへ、占い師姿の男がやってきて、
「ああ、お待ちくだされ」
とひとびとを止めた。
そして、
以土塊加其心上。
土塊を以てその心上に加う。
土くれを拾い上げて、女の胸もとを押し広げると、その上に撒き散らした。
「どういうことか」
此非死、天帝召之歌耳。
これ死するにあらず、天帝のこれが歌を召すのみ。
「いや、この女は死んだのではなく、天帝が歌を歌わせるために呼び寄せただけなのでござる」
しばらくすると女は蘇り、胸元から土くれを叩き落とすと恥ずかしそうに立ち上がった。
占い師は女が蘇ると、
「ひとの目で見ることのできる場所に倒れているとはどういうことか。気をつけるのじゃ」
と小声で叱っていたが、しばしの間に二人とも見えなくなっていた。
この占い師は賀道養というひとであったという。
―――さてさて、みなさん。
人想天楽、天帝復想人歌。正如中土人願生西方、西方人聞我中国衣冠礼楽之盛、復願来生生中国也。
ひと天楽を想うに、天帝また人の歌を想う。まさに中土人の西方に生ぜんことを願い、西方人の我が中国の衣冠礼楽の盛んなるを聞きて、また来生に中国に生ぜんことを願うが如きなり。
ニンゲンは天では楽しいことがあるのだろうと想像しているが、天帝さまの方もニンゲン界の歌を聞きたがった、というのである。しかしこれはそんなに不思議なことではない。われらチュウゴクのニンゲンが西方(の天竺は浄土のようなところだろうからそこ)に生まれたいと願い、西方のひとびとは我がチュウゴクが文明や礼制がたいへんしっかりしており、服装も音楽もかっこいいのにあこがれて、生まれ変わったらチュウゴクに生まれたいと願っている、というのとおんなじである。
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と、明の馮夢龍「古今譚概」巻三十三にあったお話。となりの芝生の論理ですね。
「賀道養と歌妓」のエピソードには典拠があるはずですが、すぐにはわかりません。典拠がわからないと「もっとベンキョウして世界に知らないことは一つもない、ようにならなければ。あと寿命は○年ぐらいしか無いのに〜」と焦ってしまいます・・・よね。