平成22年12月26日(日) 目次へ 前回に戻る
明日はまた月曜日!
今日はMM氏の家に家族で年末の挨拶に行って、あちらのお子様と遊ぶとともに、たらふくメシを食ってきました。子どもはあっという間に成長しますね。おもしろい。心ゆたかになった。
しかしまた明日は現実社会に出ていかねばなりません。と考えればイヤになってまいります。社会は厳しいから、どこかで誰かがわしを謀るべく画策しているかも知れぬし。誰かに謀られるぐらいなら、その前にいっそ自分で・・・。
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朱全忠が唐王朝を乗っ取って、自ら梁国を建てた。(唐の天祐四年(907)のことである。)
この知らせに、寿州刺史の江彦温はすぐ朱全忠に従うのが得策だと考え、日ごろから親しくしている配下の張従晦なる者を開封に遣わし、今や梁帝となった朱全忠に忠誠を誓うことを伝えようとした。
しかし、この張従晦、主君の江彦温にはいつも調子のよいことを言うていたが、実際は無頼の徒あがりで梁の都に出たところで誰にどのように近づいて主人の意を伝えればいいのか、毛頭考えがつかぬ。
「まあ、よいわ」
と酒店に入りびたり、無為に時を過していた。
この間、何蔵耀という無頼の徒と知合い、これと意気投合して甚だ昵懇となった。
張は、何と共謀して、江彦温に、
「梁帝の腹心の人物と知合うことができました。これよりこの人物を伴うて報告に上がる」
旨を知らせ、何をこの人物に仕立てて寿州に帰ったのである。
江彦温は皇帝の腹心の人物が来るというので、
大張楽邀。
大いに楽を張りて邀(むか)う。
宴楽の席を盛大に準備して出迎えた。
ところが、来ない。
梁帝の腹心の人物も張従晦も姿を見せない。
どうしたことかと人を四方にやって調べさせると、張は
与蔵耀食于主将家。
蔵耀とともに主将の家に食せり。
何蔵耀を伴って、江の配下の、寿州の軍司令のもとに行き、一席設けさせていたのだ。
張はもともとこの主将とも親密な仲にあり、すぐに江のもとに戻って肩肘はった報告をするよりは、まずは指令のもとで気楽にやり、ついでに江刺史の様子も探っておこう、ということであったらしいが、江彦温の方は蒼ざめた。
疑恐曰、汴王謀我矣。不然、何使者之如是也。
疑い恐れて曰く、汴王(べんおう)我を謀らんとするならん。しからざれば、何ぞ使者のかくの如きや。
不安と恐怖の色を見せて、
「汴王(朱全忠が唐朝からもらっていた官職)めはわしをたばかって、主将にわしに対する謀叛を起こさせようとしているのじゃ。そうでなければ、腹心の使者がこんなことをするはずがないぞ」
と呟き、兵を発して張や何が宿泊している主将の邸を襲わせた。
張と何は脱出してことなきを得たが、江は
殺其主将、連誅数十人、而以状白其事。
その主将を殺し、数十人を連誅し、而して状を以てそのことを白す。
その軍司令を殺害し、また関係者を数十人殺した。その上で、書状を以て朱全忠に対し自らの真情を訴えた。
書状を出してしまったあと、今度は
疑懼曰、訴其腹心、亡我族矣。
疑い懼れて曰く、「その腹心を訴うるなり、我が族を亡くさんかな」と。
恐怖に震えながら言い出した。
「帝の腹心の方を襲い、その方の行動に文句を言うてしもうたのだ、一族すべて全滅させられるにちがいないぞ!」
そして、
乃自縊而死。
すなわち自ら縊れて死す。
たちまち首を吊って自殺してしまった。
書状を見て、はじめてそのような事件があったことを知った梁帝は、ただちに張従晦と何蔵耀を捕らえさせ、市場で、張は体を二つに切り離される刑、何は四肢を切り離される刑に処し、その上で主のいなくなった寿州に軍を進めて、これを乗っ取ってしまったのであった。
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五代のひと孫光憲の「北夢瑣言」巻十六より。ダメなニンゲンは何かことがあると「疑心暗鬼を生」じて混乱してヤケクソになってしまうものです。唐末五代の混乱期の支配者層の資質なんてこんなものだったのです。ゲンダイのえらい人たちは高学歴の先が見えるひとたちばかりだそうですから安心ですけどね。