身の回りでは気持ち悪いぐらいイヤなことが次々と起こっているので困ったことです。
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さて、明の始めごろは各地の府庁では、上表文を府学(府立学校)の教諭に書かせることになっていたが、これがなかなか大変な仕事でございましたそうな。
1.浙江府の府学教授・林元亮は「謝増俸表」(俸給の加増を感謝する上表文)を書いたところ、その中の
●則垂憲(すなわち憲を垂る):「このように基準をお定めくださった」
が引っかかって死罪になった。
2.北平府学訓導・趙伯寧は「万寿表」(皇帝の誕生日に長寿をことほぐ上表文)書いたところ、その中の
●垂子孫而作則(子孫に垂れて則と作(な)す):「子孫代々が見習うべき規則となさった」
が引っかかって死罪になった。
3.福州府学訓導・林伯景は「賀冬表」(立冬のあいさつ文)を書いたところ、その中の
●儀則天下(天下の儀則なり):「世界中の標準というべきであろう」
が引っかかって死罪になった。
4.桂林府学訓導・蒋質は「正旦賀表」(正月元旦のあいさつ文)を書いたところ、その中の
●建中作則(中を建てて則と作す):「中庸の基準を明確にして規則とした」
が引っかかって死罪になった。
5.常州府学訓導・蒋鎮は「正旦賀表」(同上)を書いたところ、その中の
●睿性生知(睿性、生まれながらに知れり):「素質のすぐれたひとは努力しなくても生まれながらにして真実を知っているものだ」
が引っかかって死罪になった。
6.澧州学正・孟清は「賀冬表」(立冬のあいさつ文)を書いたところ、その中の
●聖徳作則(聖徳、則を作す):「聖人(皇帝)の仁徳が見習うべき目標である」
が引っかかって死罪になった。
7.陳州学訓導・周弁は「万寿表」を書いたところ、その中の
●寿域千秋(寿域は千秋なり):「御長寿は千年にいたるであろう」
が引っかかって死罪になった。
8.懐慶府学訓導・呂睿は「謝賜馬表」(中央政府からの馬の下賜を感謝する上表文)を書いたところ、その中の
●遥瞻帝扉(遥かに帝の扉を瞻(み)る):「遠くはるかに帝の宮廷の門が望まれまする」
が引っかかって死罪になった。
9.祥府県学教諭・賈翥は「正旦表」を書いたところ、その中の
●取法象魏(法の象魏を取る):「世界の決まりの大きなイメージをつかむ」
が引っかかって死罪になった。
10.亳州訓導・林雲は「謝東宮賜宴箋」(東宮の宴会に招かれたるを感謝する文書)を書いたところ、その中の
●式君父以班爵禄(君父に式(のっと)りて以て爵禄を班(わか)つ):「父たる皇帝のやり方をまねて爵位・俸禄によって人を区別なさった」
が引っかかって死罪になった。
11.尉氏県教諭・許元は「万寿賀表」を書いたところ、その中の
●体乾法坤、藻飾太平(乾に体し坤に法り、太平を藻飾す):「天を体し地にのっとって、太平をおつくりになる」
と書いたのが引っかかって死罪になった。
12.徳安府学訓導・呉憲は「賀立太孫表」(皇太孫を建てたお祝いの上表文)の中に、
●永紹億年、天下有道、望拝青門(永く紹(つ)いで億年ならん、天下に道ありて、青門を望拝す):「永久に代々継いで一億年にもなられるでしょう。天下の道からはどこからも若君の宮殿の門が望み見られまする」
と書いたのが引っかかって死罪になった。
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厭きてきました。
さて、これらは何で引っかかったのでしょうか。一分間だけ考えてみましょう。
ぽくぽくぽくぽくぽくぽくぽくぽく・・・・・・・ちーん。
わかりましたか?
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清の自庵・周寿昌「思益堂日札」巻五より。「朝野異聞録」より引用したそうである。