平成22年11月14日(日) 目次へ 前回に戻る
裏町の飲み屋の一角で、わたしはそのおっさんと一杯やっていた。晩秋の町は寒く、暗い店内には、誰がリクエストしのだろうか、藤圭子女史の「新宿の女」が聴こえている。
「そうか・・・」
おっさんはイカの一夜干しをむしゃむしゃ食いながら言った。
「あの後、清帝国は滅んだのか」
「そうです、辛亥革命でつぶれたのです」
「わしの生きている間は、ふらふらしているなあ、とは思うたものの、滅ぶるなどとは想像もつかなかったのになあ・・・」
おっさんは、清のひと、思益堂・周寿昌、字・応甫、晩年に自ら自庵と号した。湖南・長沙のひとで、嘉慶十九年(1814)の生まれ、道光二十五年(1845)の進士、光緒四年(1879)に内閣学士を以て疾病により告帰し、その後、北京城南に隠棲して著述に携わり、光緒十年(1884)に亡くなっておられる。
「国の滅ぶのは案外あっという間なのだなあ・・・」
「ほんとですよ。我が国も・・・」
「まあ、もう一杯どうだね」
「あ、すいません」
とさらに一献二献と重ね、ようやく気持ちよくなったわたしども、飲み屋を出まして寒い裏町を家路に着いた。
「と、その前に少しハラを膨らませていかんかね」
「そうですね」
「お、あそこにしようではないか」
と思益堂老師の視線の先には、牛丼屋が。
老師とわしはその牛丼屋に入った。
わしは牛鍋丼というのを頼みました。品書きを見ながら、老師は「う〜」とうなっている。
「どうされました?」
「ブタ丼は無いのかな」
「もう売ってないようですね」
「困ったのう。あとは牛ばかりか・・・」
「牛丼か牛鍋丼ですね。牛肉はダメなんですか」
「うむ」
老師、曰く、
杜工部在耒陽、飲白酒、啖牛肉、一夕而卒。
杜工部、耒陽にありて白酒を飲み、牛肉を啖(くら)い、一夕にして卒す。
杜工部とは杜甫のことである。
「杜甫は、湖南の来陽にいたとき、ある晩奮発して清酒を飲み、牛肉を食った。そうしたらその晩おかしくなってその晩のうちに死んでしもうたんじゃ。
そして、
賈島至老無子、因啖牛肉得疾、終於伝署。今墓在普州之岳陽。
賈島は老に至るも子無く、よりて牛肉を啖いて疾を得、伝署において終われり。今、墓は普州の岳陽にあり。
晩唐の詩人・賈島は老年に至っても子が無かった。そこで精をつけねばならんというて牛肉を食っていて病気になり、宿駅で死んでしまった。今、その墓は湖南・普州の岳陽にあるのである。」
「はあ」
「詩人は牛肉の害に遭いやすい、ということじゃ。気をつけねばならぬ、気をつけねばならぬ」
「はあ」
「ということで、シロをくだされ」
「あい、シロいっちょう」
老師はシロ(白飯)をもらい、大量の紅しょうがを乗せてうれしそうに食っておられたのであった。
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「思益堂日札」巻五(十巻本)より。シロに唐辛子、という食べ方もあるらしいです。
国は滅んでいくのにまた月曜日は来るのか。It‘s Automatic.