平成22年9月21日(火) 目次へ 前回に戻る
本日は皓々と、月が常にも益して美しい。そろそろ中秋のアレでしたっけ。明日か。
というわけで、今日は、月の詩は古来多いのですが、中でも特段に美しい(とおいらが思っているだけですがね)一首を紹介したい。
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独上江楼思渺然、 独り江楼に上れば思い渺然(びょうぜん)、
月光如水水連天。 月光は水の如く水は天に連なる。
同来翫月人何処。 同じく来たりて月を翫(もてあそ)びし人はいずこぞ。
風景依稀似去年。 風景は依稀(いき)として去年に似たり。
晩唐の詩人・趙叚(※)(815〜?)の七絶「江楼旧感」である。「唐詩選」巻八にある。
(※=本当は「古叚」(カ)という字ですが、「古」のついた字が出ないので「叚」で表す。以下同じ。)
ひとりだけで江のほとりのたかどのに、おれは昇ったのだ。
そして、心は取りとめなくはるか彼方に飛んでしまった。
透き通った月の光は水のように澄んでいる。
江の水もさえざえと、そのまま空とつながって切れ目がない。
それだというのに、去年のこの日、
ここでともに月を楽しんだきみはどこに行ってしまったのか。
空と水、風と月。
風景はほとんど去年のままだというのに。
「依稀」(いき)というのは「彷彿」(ほうふつ)というのと同じくオノマトペで「ぼんやりと」「なんとなくそんな感じ」を表す。
「月光水の如く、水は天に連なる」―――は、宮沢賢治先生の「くらむぼん」のお話の中でカニが水底から月夜の川の水を見上げているような、目くるめくような美しい表現ですが、詩の結構自体は春の季節にとりなせば、そのまま
月やあらぬ春やむかしの春ならずわが身ひとつはもとの身にして
というニホン歌に作り為すことができますね。
在原業平の歌と同じく、この詩もあまりに妖しく美しいので、ひとの心のやわらかなところをぎゅうぎゅうと刺激してしまうのでしょう、この詩には古来、悲しい伝説がつきまとっているのでございます。
・・・・・・・趙叚には美しい許婚者がおったというのである。
叚は科挙試験を受けるために長安に出かけるに当って、彼女を老母に引き合わせ、彼女は江蘇・山陽の趙家で叚の母の世話をして叚の帰りを待つことになった。
その年の七月十五日、叚母が月を観たいと言うので、女は叚母の手を引いて鶴林寺に遊んだのであるが、ちょうどこの晩、浙江の総督もこの寺に遊んでおり、女をうかがいみてその美しさに引かれ、
奪帰。
奪いて帰る。
強奪して連れ帰ってしまったのである。
翌年(会昌二年(842)という)、科挙に合格して帰ってきた叚は女が行方知れずになったことを聞いて悲しみに暮れたが、致し方なく長安に戻って任官した。
浙江総督はそのことを聞いて、女が趙叚の許婚者であったことを知り、ひとに仲介してもらって女を送り届けた。
時に叚は新たな任地に赴くため長安を出、横水の宿駅にあり、そこで二人は出会ったのである。
女は
抱叚痛哭、信宿而卒。
叚を抱きて痛哭し、信宿して卒す。
叚に抱きついて悲痛な声を出して啼くと、二晩して死んでしまった。
叚は大いに悲しみ、横水のほとりにこれを葬る。
叚はその後も思慕やまず、江蘇の故郷に帰ってきたときに作ったのが冒頭の詩である、といい、また彼が四十を過ぎたばかりで死ぬその臨終の時にも、この女の名前を口にしていた、というのである。
―――これは元・辛文房「唐才子伝」巻七に拠る。
あれ? 業平さんのお話と状況はちょっと違うけど構造は同じですね。失った恋人を思ってうたうというオチも同じだよ。
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山崎ハコ先生の「風に乗って昭和」を入手する。1993年に作られたる寺山修司先生と昭和への挽歌である。そうだなあ、平成のはじめごろはこんな雰囲気だったよなあ・・・。これはいい歌でした。√誰が名づけたか彼女には挽歌(わかれうた)歌いのかげがある、ような・・・。