平成22年9月18日(土) 目次へ 前回に戻る
みなさんもこういうこと言えるかな? 何度も繰り返して練習したら言えるようになるカモよ。
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宋の太祖皇帝が即位の後、都・開封の相国寺というお寺に参詣した。
至仏像前焼香、問当拝与不拝。
仏像前に至りて焼香し、拝すべきか拝せざるかを問う。
仏像の前で焼香した後、「さて、わしは仏さまに拝礼を行わないといけないのか、行ってはいけないのか、どうなのかのう」と問うた。
一天万乗の皇帝が、仏といえども他者にひざまずき、頭を下げる「拝礼」を行うべきか否か。梁の武帝のように自らを「三宝の奴」と呼んだ皇帝もいれば、唐の韓愈のように皇帝が夷狄の仏に拝礼することの不当を指摘した思想家もある。どうすべきであろうか。
ヘタな答えはできません。ヘタに「拝礼すべき」などと答えると皇帝の自尊心を傷つけてどエラいことになるかも知れぬ。一方で、「拝礼せず」などと答えて「わしの信仰の心を妨げるか」とエラい目にあうことになるかも知れぬ。これは難しいことである。側近の者たちは下を向いて押し黙ってしまった。
そのとき、相国寺の僧録をしていた賛寧禅師が一歩進み出て、
不拝。
拝さず。
拝礼してはなりませぬ。
と答えたのであった。
「ほう・・・。何故かな」
賛寧答えて曰く、
見在仏、不拝過去仏。
見在仏は過去仏を拝さず。
仏同士は平等でございます。現在の世界におわします仏が、過去の時代におられた仏――シャカムニ――を拝礼するいわれはござりませぬがゆえに。
皇帝は「現在仏」だ、という理屈である。歴史上に出現したたくさん「仏」(シャカムニ仏もその一人に過ぎない)はすべて宇宙の根本仏(いわゆる法身仏、大日如来など)の化身だということであるから、理論的に間違いはないのである。太祖皇帝=仏、という等号さえ成り立てば、ですが。
「・・・ふむ」
皇帝は一瞬賛寧の、誠実無比な顔を見つめた。
それから、
「なるほど、そうか。そうなら仕方ないのう」
武人らしい精悍な頬を緩めて破顔一笑、かかか、と豪快な声をあげてお笑いになり、つられるかのように側近ら一同もみな大笑いしたということである。
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太祖の弟で二代皇帝となった太宗皇帝は、神童と評判の楊大年を召して、その作文流れるごときに感嘆し、秘書省正字(詔勅担当の秘書官)に任命した。時に大年は年わずかに十一歳である。
しばらくして、皇帝、大年に問うた。
卿久離郷里、得無念父母乎。
卿、久しく郷里を離る、得て父母を念(おも)う無きか。
卿はもう長い間、郷里を離れたままであろう。お父上・お母上のことを思い出して(悲しい思いをして)いるのではないか。
すると、大年はまだ声変わりもせぬ声でお答えして曰く、
臣見陛下、一如臣父母。
臣、陛下を見るに、一に臣の父母の如し。
わたくしめ、陛下を目にするごとに、その慈愛に触れて、ただただわたくしめの父のようだ母のようだと思うております。(悲しいなどと思うはずがございますまい。)
皇帝はその後、ことあるごとに側近たちにこの楊大年の答えを持ち出し、
「立派なやつだ、立派なやつだ」
とお褒めになっておられたということである。
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いずれも「舌華録」巻十六より。「名臣言行録」等に元話があるのだろうと思いますが今日はそこまで調べません。
人の臣下である以上、こういうことを言えないとエラくはなれませんよー。エラくならなければならないかどうかは知らんけど。