平成22年9月17日(金) 目次へ 前回に戻る
第二次革命はじまったよ!じっとしているうちに嵐が過ぎるといいのだが・・・
・・・という問題意識と以下の記述には直接の関係はありません。
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六朝の宋・斉・梁に仕え、梁の光禄大夫となった江淹、字・文通はもと美しい文章家として頭角を顕わしたひとであった。
すでに壮年に至ったころ、宣城太守の任を終えて都・建康に帰ることとなったときのことである。
明日は都に入るという晩に建康郊外の冶亭の宿に泊まった。
夜半、夢に美しい青年が現われ、言う、
吾有筆在卿処多年矣。
吾、筆の卿の処に多年在る有り。
「ぼくの筆が、きみのところに長い間預けてあったはずなんだが。」
―――?
可以見還。
以て還さるべし。
「そろそろ返してくれないかな。」
―――はあ・・・
そう言われて江淹が懐を探ると
得一五色筆。
一の五色筆を得たり。
一本の五色に飾られた筆が入っていた。
―――これのことでしょうか。
と言いながら
以授之。
以てこれを授く。
その筆を手渡すと・・・
青年は頷いて、にこりと微笑んだ。その笑顔の美しさ―――まるで晴れた日に銀の雪山を見るように輝かしい。
「それじゃあ」
と行ってしまおうとする青年に、
―――ところで、あなたは・・・
と問うと、青年は振り向いて、また輝くような笑いを頬に浮べ、
郭璞。(かくはく)
と晋の名高い神秘主義的詩人哲学者の名を告げた。
―――え?
確かめようとする前に、もう彼は、ふい、と姿を消してしまったのである。
・・・・・・・・・・・で、都に帰ってからは、
爾後為詩、不復成語。
爾後詩を為すもまた語を成さず。
「それからは詩を作ろうとしてもまともなものが作れんのじゃよー」
と江淹は、笑いながら誰かれとなくこの話をした、ということである。
ひとびとは、さすがに江淹は
才尽。
才尽く。
才能が尽きたのだ。
それをはっきり言うのがいやで、かように言うたのではないか、とうわさしたものであった。
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南朝の斉・梁に生きた江淹とほぼ同時代人(10歳ぐらい下)の鍾エ(しょう・こう)が六朝の詩人たちを評した「詩品」(巻下)に書いてあったのです。「蒙求」巻上にも「江淹夢筆」として載せられているお話。
わしにも若いうちに誰かが筆を貸しくれればよかったのですが、誰も貸してくれないのでいまだに語を成しません。じっとしているうちに第二次革命の嵐を生き抜くことができるかな。
いずれにせよ今日は休みの前日でくつろいでいるのです。第二次革命の嵐も休み明けでいいや。藤圭子「新宿の女――演歌の星 藤圭子のすべて」を聴く。これはブルースというものだ。それから山崎ハコさまの「幻想旅行」を聴く。アマゾンで買い物することを覚えてしまったのである。