平成22年8月13日(金) 目次へ 前回に戻る
南から湿った亜熱帯の空気がお見えになっているらしいのですごい蒸し暑いです。この空気といっしょにたくさんの方々が帰ってきておられることでしょう。今日もお盆特集で、ぶっきょうのことをお話しいたします。
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○皮の袋はすぐに破れる
皮嚢速壊、神識常存。殺万命以養皮嚢、罪卒帰于神識。
皮嚢(ひのう)は速やかに壊れんも、神識は常に存す。万命を殺して皮嚢を養う、罪はついに神識に帰せん。
皮の袋はすぐに破れてしまうだろうが、輪廻するたましいは永遠に実存する。数限りないいのちを殺して食べ物にし、皮の袋の中に詰め込んでいたら、その罪はたましいにまで行き着いてしまうことだろう。
シラス丼など食べたとき、ほんとうにこんなキモチがして少しだけ反省してしまいます。
「皮嚢」はもちろん、「臭皮袋」=皮の袋の中に内臓・血肉・糞尿を詰め込んで、悪臭ふんぷんたるわれわれ生けるニンゲンのこと。「神識」すなわち因果の種子の付着するアライヤ第八識を「たましい」なんて訳したらブッキョウのひとに怒られるかも知れませんが、達意を旨としたのであるから寛恕願いたい。
仏性無辺、経書有限。究万巻以求仏性、得不属于経書。
仏性無辺にして、経書限りあり。万巻を究めて仏性を求む、得るは経書に属せざらん。
ほとけの本質は時間的・空間的限定のあるものではないが、それを説き明かそうとした経典の数には限界がある。一万巻もの経典を研究してほとけの本質を追求したとしても、最後に心に得るものは、経典の外にあるであろう。
不立文字、教外別伝ですなあ。(「まことのことは言葉にならぬ。」「言葉で教えられることのほかに伝えられねばならぬことがある。」)
若いころから「大蔵経」というものを読んでみたい、というキモチがあります。書物への支配欲が強いので、線を引きまくって読みたい!と思っているのですが、あんなものを読んでいたら眠るひまがありません。
「眠らずに読んだらいいじゃないか」
というひともいるかも知れませんが、わたくしは睡眠不足するとすぐに頭痛がするので眠らないわけにはいかないのです。
なので読めないのです。
以上。では、寝るか。
と思ったのですが、これだけだとさびしい、お盆なのでもっと勉強したい、というひとがいるといけません。わたしもこんな講話をしておカネをとっている身分(←ほんとうか?)ですから、そういうご要望には答えねばなりますまい。
○市場のひとは・・・
入市而嘆過路客。紛紛擾擾、総是行尸。
市に入りて嘆く、路を過ぐるの客を。紛紛擾擾としてすべてこれ行尸なるを。
市場に行ってみたら、いやになった。道を行くお客はみなちりぢりばらばらに騒いで歩いているだけのしかばねばかりではないか。
うひゃあ。比喩で言っているわけですが、文字通りに受け取ると、何となくコワい。
反観而照主人翁、霊霊瑩瑩、無非活仏。
反観して照らす、主人翁。霊霊瑩瑩(えいえい)として活仏にあらざる無し。
振り返って(心の中を)よくよく見れば、(心の本体たる)あるじのじいさんは、透き通ってきらきら光っていきぼとけさまそのものじゃ。
きらきら光るじいさん、も何となくコワい。比喩で言っているわけですが。
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「続娑羅館清言」(第3則・第4則)。どちらも見事な聯語になっていますね。さすがは赤水居士ですなあ。
まだ勉強し足りないひともいるでしょうから、オシャカさまの生まれたお国、遠い天竺の「吠舎厘国」の鹿脚女の話をいたしましょう。ずりずり。(←数珠を繰る音)
これはこの世のことでございましょうか、まことアワレな親と子の、因果の物語にございます。じゃじゃっ!(←数珠を振った)
が、いよいよ眠いので続きは明日。
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キルリー鳥
↑これを書いておくと検索に引っかかりやすい、というウワサがあったので書いてみただけです。