←これも鳥
魯の文公の第二年(紀元前625)秋八月。
大事于大廟。
大廟において大事あり。
魯公の先祖のおたまやにおいて、大事件が出来した。
如何なる大事件かというと、宗伯(おまつり係)の見鬼者・夏父弗忌(かほふっき)の
吾見新鬼大、故鬼小。先大後小、順也。
吾、新鬼の大にして故鬼の小さきを見る。大を先にし小を後にするは、順なり。
わしは見ましたのじゃ。新しく霊的存在になられた霊魂(二年前に亡くなった先代の僖公のたましい)の方が、古くに霊的存在になられた霊魂(先々代の閔公のたましい)よりも大きかったのを。大きい方を小さい方より尊重するのは普通のことではございますまいか。
という主張に沿って、僖公を閔公より上位にしてお祀りしたのである。
―――これは「逆祀」である。順ではない。
―――祭祀というのは軍事とともに国の大事である。ここにおいて逆すとは、不礼のはなはだしいものといわざるを得ない。
―――魯の国は礼を尊ぶ国と聞いたが、ああ、それは間違いだったのだろうか。
と、時の君子たちは嘆き、批判した。
百年以上後の孔子もこう言っている。
―――(当時の大夫であった)臧文仲さまは、(立派な方といわれるが)三つのひととして許されないこと(「三不仁」)とものを知らないといわれること(「三不知」)をしでかしている。三不仁とは、賢者の柳下恵を用いなかったこと、六つの関所を新設したこと、女奴隷たちにむしろを織らせたこと、である。三不知とは、意味の無い器を作らせたこと、逆祀りを行わせたこと、爰居をおまつりしたこと、である。
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以上、「春秋左氏伝」より。
・・・だから何だ。
・・・いや、この中の爰居(えんきょ)って何だろう? と思いませんでゲスか。
・・・む。なるほど。それは気になるねえ。
と、みなさんも気になるでしょうから、調べてみますと、左氏伝と同じく左丘明の編纂になる(と伝説ではされている)「国語」は、左氏伝を補う記事の多い書物であるが、その「魯語」(魯の国の伝説)上に爰居の記事がある。
海鳥曰爰居、止於魯東門之外三日。臧文仲使国人祭之。
海鳥、爰居と曰う、魯の東門の外に止まること三日。臧文仲、国人をしてこれを祭らしむ。
海の鳥である「爰居」が、(どういうわけか内陸部にある)魯の国都の東門のすぐ外に羽を休めて三日間止まった。大夫の臧文仲は、不思議なことであると考え、役人に命じてその鳥を祀らせた。
これを聞いて、賢者の柳下恵は、
「越権ではないか、臧文仲の政治は。まつりごとは国の大事であり、まつりごとには国にきちんとした決まりごとがある。その決まりごとに無いものに祭祀を捧げるとは、正しいことではない。
(中略)
思うに、この鳥の現れたことは不思議でも何でもなく、
今茲海其有災乎。夫広川之鳥獣恒知而避其災也。
今茲(こんし)、海にそれ災あらんか。それ、広川の鳥獣は恒に知りてその災いを避くるものなればなり。
今年、海になんらかの災害があるのであろう。荒野や川海に棲む野生の動物は、つねに災害を予知して避けるものだと聴く。(海の鳥がこんな内陸まで来ているのは、災害を避けてきたものにちがいあるまい。)」
事実、
是歳也、海多大風。多煗。
この歳や、海に大風多く、煗(だん)多し。
この年は、海岸地方では暴風が吹くことが多く、また例年に無く温暖であった。
「煗」(だん)は「煖」(だん)と同じで、「あたたかい」こと。
臧文仲は柳下恵の言葉を聞き、
「わしが誤っていた。柳下恵の言葉は本当に正しい」
と言って、その言葉を三セットの竹べらに書かせ、三人の大臣がそれぞれ手許に持つことにした。
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そうである。これが「爰居」を祀るということであった。
「荘子」(至楽篇)には、この話がもう少し説話化(あるいはファンタジー化)されたものが引かれています。
やはり孔子が、弟子の顔回に説教を垂れる中でこう言っている。
「おまえはあの話を聞いたことがないのか。
昔者海鳥止于魯郊、魯侯御而觴之于廟、奏九韶以為楽、具太牢以為膳。
むかし海鳥、魯の郊に止まり、魯侯御してこれを廟に觴し、九韶を奏して以て楽と為し、太牢を具えて以て膳と為す。
むかしむかし、海鳥が(どういうわけか内陸部の)魯の都のすぐ外まで来て止まっていた。魯公は(珍しいことと考えて)この鳥を(捕らえて)ご先祖さまのおたまやに連れて来させ、自ら出かけていってこの鳥にお酌をし、天子の楽である豪華な「九韶」(きゅうしょう)の曲を奏し、豪華な牛肉の料理を食事として供した。
鳥はびっくりして悲しそうに鳴くばかりで、ご馳走や名酒にくちばしをつけるでもなく、わずか三日で死んでしまったのだ。
自分でえさを探し、自分で水を探す鳥が、飼われてしまうと、誰もがうらやむような豪華な音楽・料理を供されても、楽しむことはできずに憂い悲しむばかりなのである。(いわんや、自由なるひとにおいてをや・・・)」
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杜甫が歌いて言う(「八哀歌・鄭公虔」)に―――
爰居至魯門、 爰居、魯門に至るも
不識鐘鼓饗。 鐘鼓の饗を識らず。
孔翠望赤霄、 孔翠、赤霄(せきしょう)を望んで
愁思雕籠養。 雕籠の養を愁思す。・・・
(お廟で接待を受けた)爰居という鳥は魯の国都の門前まで来たが、
鐘や太鼓を聞く宴会に招かれようとしたわけではない。
(宮中に飼われる)孔雀や翡翠(かわせみ)は、自由な世界の赤い空をはるかに望み見て、
豪華な籠の中で養われている身を憂い悲しんでいるという。 (以下略)
自由な生まれつきのものは自由に生きるのがいいのである。これが今日、言いたかったことなんじゃ。
なお、「赤霄」(せきしょう)とは、「赤い空」の意ですが、シナでは仙人たちが住む遥か西の崑崙山の空は赤い色をしている、とされていましたので、ここで孔雀やかわせみがはるかに見ているのは仙界の空なのです。仙界の空が赤いのは、地磁気異常で出現する低緯度オーロラ=「赤気」=であること、諸星大二郎先生「孔子暗黒伝」を一度でも読んだ者にはただちにご理解いただけるであろう。読んだことないような愚民ははやく読むこと。歳月は人を待ちませんぞ。読めば少しはカシコくなって現政権の非道が理解でき云々。