重要情報だわん。
みなさんの好きそうな情報を得たので以下に紹介しておきます。
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至正乙巳年(1365。もう元のほぼ末年)の春、湖南・平江の金国宝(宝物なり骨董を仲買する店の屋号であろう)に
人腊(じんせき)
なるものが売りに出たことがあった。
そもそも人腊とはどういうものか。「腊」(セキ)は字義どおりには「干し肉」のことであるが・・・。
・・・・ということで、南村先生・陶宗儀は早速その店に現物を見に行ったそうである。
其形長六寸許、口目耳鼻与人無異。
その形、長さ六寸ばかり、口・目・耳・鼻、ひとと異なる無し。
その形状は、背の丈六寸ほどであり、口、目、耳、鼻もついていて、人間と同じである。
元のころの一寸は3.07センチとされますから、18.4センチぐらいの大きさの人間の「ひもの」であった。
陶宗儀の観察によれば、
・あごひげ、くちひげあり。
・頭髪は長く、臀部の下まで伸びている。
・もみあげと髪は黄色。ただし、その間に白髪が一本だけ入っている。
・体中に二分(6.14ミリ)ばかりの長さの黄色い毛が生えている。
・へそ下に陰物(ち○ぽこ)がついているので男性である。
ということである。
また、これを店に売りに出したひとの言を伝え聞いたところでは、
―――これは、もともと、至元年間(1264〜1294※)にある国から世祖皇帝(フビライ=ハン)に対し、生きたまま献上されたものである。
ということである。※元代には至元という年号がもう一回(1335〜40)使われていますが、そのときの皇帝は恵宗ダハンテムールですので「世祖」の時代ではない。
―――その後、公爵の阿你哥(あじか)なる者に下賜されたが、いくばくも無くして死んだ。珍しいものであるので、公爵の命で
剖開背後、剜去腸臓、実以它物、縫合烘乾。
背後を剖開し、腸臓を剜り去りて它物を以て実たし、縫合して烘(あぶ)り乾す。
背中から切り開いて、はらわたや臓物を抉り出し、そこに他のものを詰め込んで縫い合わせ、あぶって乾燥させたものである。
公爵からそのひとまでの間の所有関係は明らかでないが、
―――だから、腐敗せずに遺されてきたのだ。
という。
以上から、この「ニンゲンのひもの」の作り方がわかりました。「ミイラ」の一種なわけです。
ところで、背の丈六寸のニンゲンというものがありうるのだろうか。
文献に徴するところ、ありうるのである。
○「漢武故事」(漢の武帝のときの事件を記録したもの)
東郡から「一短人」を送致してきた。それは
長七寸、名巨霊。
長さ七寸、巨霊と名づく。
背の丈七寸で、「巨霊」(大きな精霊)というものであった。
○「神異経」
西海有一鶴国。
西海に一鶴国あり。
西方はるかの海(地中海?)のほとりに「一鶴国」という国があった。
この国のひとは「長七寸」(背の丈七寸)であるという。
○「山海経」
有小人国、名靖人。
小人国あり、靖人と名づく。
こびとの国があります。そのひとびとは「靖人」(やすらかなひとびと)と呼ばれる。
○「詩含神霧」
東北極有人長九寸。
東北極にひとあり、長さ九寸。
世界の東北の果に住むひとは、背の丈九寸である。
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古代・周代の一尺は20センチ弱。秦から漢のころで27〜28センチ、晋のころには23センチぐらいとされます。一尺=十寸ですから、漢尺の七寸、晋尺の九寸をとるといずれも20センチ前後、周尺で九寸なら18センチとなり、元の時代の六寸(18.4センチ)とほぼ同じである。
このことから、陶宗儀の観察した「人腊」のニンゲンは、この類だったのではないか(「靖人」は大きさの記載がないが)と推測されるところである。
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「南村輟耕録」巻十四より。ちなみに、途中に出てくる古書の引用も陶宗儀が自分で調べてくれているので、今日はラクチンでした。