唐の大和年間(827〜835)、周某という道士がおられた。
中秋にあたる晩、月色澄み切って玉のような宵に、とある富豪に招かれて数人の客人と歓談して、
且吟且望、有説開元時明皇帝遊月宮事。
かつ吟じかつ望じ、開元時に明皇帝の月宮に遊ぶの事を説くあり。
詩を吟じたり月を眺めたりしたが、客の中に、開元年間(713〜741.百年ぐらい前に当たる)に明皇(玄宗皇帝のこと)が月中の宮殿に行ったという故事を語る者があった。
玄宗皇帝は月宮に遊んで、このとき月の仙女たちの琴曲を聞き覚え、地上に戻ってから思い出して曲を奏した。これが名曲「霓裳羽衣の曲」である(といわれる)。
客、嘆じていう、
吾輩塵人、固不得至其所矣。
吾輩塵人、もとよりその所に至るを得ず。
「わしらはゴミ人間ですから、どうしてもそんなところに行くことはできますまいなあ」
と。
すると、いままで黙って話しの聞き役に回っていた周道士、おもむろに
「確かにみなさまは月宮には行けますまい。よろしい、わしが月を懐に入れて持ってまいりましょう」
と言うたのである。
道士は、まず、部屋を一室用意させ、その四方を覆わせた。暗室が一つできたわけである。その上で、童子に命じて数百本の箸を縄で繋がせ、ハシゴを作った。
「では行ってまいりますでな」
と言い残すと、道士はハシゴを持って暗室の中に入って行ったのである。
それを見送った他の客、しばらく待っていても何の変化も無いので退屈になってきて、月下を散策するべく庭に出た。
「ああ美しい月光ですなあ・・・」
と、語り合っていたところ、にわかに目の前が真っ暗になった。
月の光が無くなったのである。
「これはこれは・・・」
手探りで部屋に戻るに、暗闇の中から
某至矣。
某至れり。
「わしも戻ってきましたぞ」
と周道士の声がして、続いてその懐から冷え冷えとした白い光が覗き、
挙其衣出月。
その衣を挙げて、月を出だす。
その衣の袖を振り上げると、ふところから「月」がころりと転がり出てきたのだった。
その光、玲瓏として、客人たちの暗闇に馴れた目にはまぶしく、みな「やや」と声を上げてその目を覆った。
目を慣らしながら、床に転がっている「月」を見るに、息を呑むほど清々しい。
「月」は、
寸許、一室尽明。
寸許(ばか)りにして一室ことごとく明らかなり。
一寸(3.1センチ)ほどの小さな玉であったが、それ一つで部屋中が真昼のように明るいのであった。
その光に見入るうちに、やがて客人らは、当たりの空気が、
寒入肌骨。
寒さ、肌骨に入れり。
凍てつくように寒くなってきて、肌からさらに骨にまで寒さが突き刺さるようである。
ことに気がついた。
あまりの寒さに震え上がり、助けを呼ぼうとしても声が出ない。足も立たない。這って部屋から逃げ出そうとした、そのとき―――
周道士が
「これ!」
と声をかけた。
―――いつの間にか月は空にあり、部屋は元のとおりの暖かさに戻っていて、周道士はにこやかな顔をしてその場に座っていたのである。
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ああ不思議な術ですなあ。唐・張讀「宣室志」より。(→20.12.14)
不思議といってもタネのある奇術のようなものに決まっているのですが、しかし、アタマをすげかえただけで支持率がぽん、ぽん、ぽぽん、とはね上がるんです。奇術さえ使わなくても引っかかるひとの多いこと多いこと・・・、言い過ぎかな・・・。