今日は文字に関する話をします。
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蒙師、といいますのは、近世において「童蒙」(何も知らない子ども)を教えた私塾の先生のこと、我が国ではいえば「寺子屋の先生」ですが、いろんなひとがいたようで、ある蒙師はもう老年であったが、
只識一川字。
ただ一「川」字を識るのみ。
「川」という字ぐらいしか知らなかった。
生徒が家から書物を持ってきて、「この本の読み方を教えてくだちゃい」と質問してきたので、この蒙師、「川」の字を教えようと数頁繰ってみたが見当たらない。・・・やっとある文字を見つけると、その文字に向かってつぶやいた。
我着処尋爾不見、爾到臥在此里。
我着処に爾を尋ぬるも見えず、爾この里にありて臥すに到れるか。
「わしはあちこちおまえを探していたがどこにも見えなかった。おまえはこんなところで横になっておったとはな。」
そして、おもむろに生徒に向かって、
「これが「川」という字じゃが、この本では横になっておるようじゃな」
と言い始めたところ、生徒は首をひねって言うた。
「先生、・・・それは「三」でちゅよ」
師匠が弟子に教えられたとはこのことである。
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父親が「一」の字を幼い子どもに教えた。机の上の紙切れに筆で「一」字を書き、
「こうやって横に棒を引くのじゃぞ」
「なるほどでちゅ」
と子どもは頷いておりました。
翌日、父親が机の上を湿布(濡れた布)で拭いているところに子どもが来た。
父親は、
以湿布画卓上問児。
湿布を以て卓上に画して児に問う。
濡れた布で机の上を(横に長く)拭き、水に濡れたところを指して「これは何と云う字じゃったかな?」と子どもに訊ねた。
子どもは
不識。
識らず。
「わかりまちぇん」
と答えたのだった。
父親曰く、
吾昨所教汝一字也。
吾の昨なんじに教えしところの「一」字なり。
「わしが昨日おまえに教えてやった「一」の字ではないか」
すると、子どもは
張目曰、隔得一夜、如何大了許多。
張目して曰く、「一夜を隔て得て、如何ぞ許多に大了せる」と。
目をまるくして言うた、「一晩のうちにこんなに大きくなってしまったのでちゅか」と。
子どもらしい疑問であるが、問題なのは大人になってもこんなふうにしかものを理解していないひとが多いことである。それもお役人などに断然多い。
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いずれも明の大文人・馮夢龍(←「通俗文学家」という概念に入るらしい。1574〜1646。「古今譚概」など参照のこと)の編んだ「笑府」より引用しました。
ちなみに「笑府」は「わらいばなし」を集めたものですから、上記の文章から教訓とか処世の知恵とか東洋的叡智とかを引き出そうなどとしなくていいですからね。念のため。なお、「目をまるくする」を「張目」という、というのは何だか新鮮ですなあ。