平成22年5月24日(月) 目次へ 前回に戻る
十八世紀のことでございます。
江蘇・宜興の周啓雋は字を立五といい、目は落ち窪み顎が細く、顔色は土色をしていて、相者(人相見)が一目見るなり
薄相也。
薄相なり。
「うひゃあ、これは福運の全く無い人相ですなあ」
と判断したほどの貧相な容貌の男であった。
そのためか、齢三十を越えても地方の学校(府学)の卒業試験さえ受からないでいたのである。
その彼が、
一夜、偶宿南城外。
一夜、たまたま南城外に宿す。
ある晩、用があってたまたま町の南の郊外で外泊したことがあった。
眠っていると、深夜、
「おい」
と、突然たたき起こされた。
目を開けると、枕元に、鳥の姿の冠をかぶり、紅い衣を着た大きなひとが立っている。
「なんだ、おまえはいつものやつと違うな」
と言うなり、そのひとは、左手で周の襟をつかみ、右手で頭をつかんで、
「よいしょ」
と周の頭を
ぎしぎしぎしぎし!
と捻じり取った・・・・・・
・・・・・・・・次に周が気がついたのは、
「これでよし」
と男が周の頭から手を離すときで、
「今度は間違うなよ」
と言いながら、その紅い衣の大きなひとは掻き消えるようにいなくなった。
首筋に違和感を感じたので、鏡を取り出して首の周りを見てみると、ぐるりと赤い線がついていて、まるで繋ぎ合わせたように見える。
「何ごとであったのか」
と鏡を覗き込んで、
「あ!」
と驚いた。
そこにある顔が自分の顔ではなかったからである。額も広く、頬から顎にかけてもふっくらとしたいい男に変わっていたのだ。
・・・・翌日から、会う人会う人に
「キミは変わったな」
と言われるようになったが、みな同じように、
「ずいぶん、いい人相になったものだ」
と褒めてくれたのである。
とはいえ、試験の成績は全く上向かなかった。
・・・・ある晩、また用があって郊外に外泊したとき、また深夜に、
「これ」
と声をかけられてたたき起こされた。
今度は、目の前に立っていたのは、これも大きなひとであったが、白いひげの老人であった。
老人は、
「おまえじゃ、おまえ。この顔を捜していたんじゃ」
と言い、そばに控えていた不思議なモノ―――周の表現によれば、
一金甲神 ――― 金属のよろい・かぶとを身につけた神
に、
「してやれ」
と命じたのであった。
その金属の「神」は普通のひとの半分ぐらいの、子どもような大きさであったが、がしゃん、がしゃん、とぎこちない動きで周の前までやってきた。周の体は金縛りに会うたように動けなかった。
金属の「神」は、突然、右手を差し出す。その右手ははさみのようになっており、
剖周腹、滌其臓腑、而復納之。
周の腹を剖きて、その臓腑を滌(すす)ぎ、またこれを納(い)る。
周のハラを切り割って、中から内臓を取り出すと、これを洗浄して、またハラの中に入れなおした。
この間、周は痛みは全く感じなかったという。
ハラが縫い合わされると、老人は
祝曰、清虚似鏡。
祝して曰く、「清虚鏡に似たり」と。
祝福して、
「きれいになったのう。まるで鏡のように清らかなハラとなったのう」
と言ったそうな。
これ以降、突然文章がうまくなり、次々に試験に合格して、翌年には翰林院に職を得ることとなったのであった。
・・・・・・・・・・・・・・・以上は、北京で知合った周啓雋本人から聞いたことであります。
李笠翁(清のひと。多数の文章・戯曲を書いた)の小説に「奈何天」という作品があって、その中に、ひとの姿形を変える神「変形使者」というのが登場し、一人の醜男が変形使者に体の各部を取り替えてもらい、おかげで美しい令嬢に愛され、舅の手引きで大いに出世する物語があるが、
世竟有符此者、大奇。
世についにこれに符するものありとは大いに奇なり。
実際の世の中に、そのとおりのことが起こっていたとは、たいへん不思議なことである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ほんとに不思議ですね。清・龔煒「巣林筆談」巻四より。わしも別人になりたい、と思うことはあるが、同じ人間のままで顔が変わってもいろいろからかわれたりするだけなのであまり希望しません。ココロが変わるのはいいかも知れませんね。