平成22年5月21日(金) 目次へ 前回に戻る
このことは、わしのような雲の如く行き水の如く流れる「時空の旅びと」には必須の知識でありますし、世間的にもかなり有名なことだと認識しているのですが、最近のひとはあまり話題にしないので、
「もしかしたら忘れてしまっているのかも知れない」
と思いまして、ここに記しておきます。
何かといいますと、
真臘(カンプチア)では、八月になると「胆取り」が行われる。
ということです。
何故そんな行事が行われるかというと、占城(チャンパ。中南部ヴィエトナム)の王が毎年、胆臓を求めてくるので、真臘の王はこれを
大がめ一杯分、個数にして千個余り (一甕、可千余枚)
献上せねばならないからです。
―――何の胆臓を献上するんですか?
もちろん、「人」の胆臓ですよ。ひっひっひ。
占城では人の胆を必要としているのです。なぜなら国王や大貴族は、毎年、
胆入酒中、与家人同飲、又以浴身、謂之曰、通身是胆。 (1)
胆、酒中に入れ、家人と同飲し、又は以て身に浴び、これを謂うに曰く、「通身これ胆」と。
胆臓を酒の中に漬けたものを、一族の者と飲み、あるいはこれを体にかける「体中を胆にする浴法」というのを行う。
ということをして、人の胆臓に含まれると考えられている生気を身につけなければならないからです。
このためにもともと占城でも「胆取り」が行われていた。その方法は、
毎伺人於道、出不意急殺之、取胆以去。(2)
つねに人を道に伺い、不意に出でてこれを急に殺し、胆を取りて去る。
外出中のひとを見かけると、そのひとを不意に襲ってあっという間に殺してしまい、胆臓を取るのである。
なぜ不意に襲わねばならないかというと、
若其人驚覚、則胆已先裂、不足用矣。(2)
もしその人驚き覚ゆれば、すなわち胆すでにまず裂け、用うるに足らざるなり。
もしそのひとが自分が被害を受けるということに驚き気づくと、びっくりして胆臓が破れてしまうので、役に立たなくなるからである。
のである。
このような形で、国内でしかも常時やっているといろいろ不都合もあったのでしょう、これを真臘に求めるようになったので、真臘では八月の一定の日に、王に仕える武人たちを各地の町や村落に派遣し、
遇有夜行者、以縄兜住其頭、用小刀於右脇下取去其胆。(3)
夜行者あるに遇えば、縄兜を以てその頭を住し、小刀を用いて右脇下よりその胆を取り去る。
夜外出している者に出会うと、縄を編んで作った帽子をそのひとの頭部にすっぽりかぶせ、そのひとが何ごとが起こっているのかわからないでいるうちに小刀を用いて右脇の下を切り開いて胆臓を取り出してしまうのである。
こうして一千余個の数をそろえて、毎年占城王に進貢するのである。
おそろしいことです。
ところで、ガイコク人が襲われることもあるのでしょうか。
実は、占城での「胆取り」においては、
置衆胆於器、華人胆輙居上、故尤貴之。(2)
衆胆を器に置くに、華人の胆はすなわち上に居る、尤もこれを貴ぶ故なり。
多くの胆臓を器に入れるとき、チャイナびとの胆臓は一番上に置かれる。なぜなら最も貴重とされるからである。
とされるのですが、真臘の「胆取り」においては、
独不取唐人之胆。(3)
ひとり唐人の胆を取らず。
チャイナびとの胆臓だけは取らない。
のだそうです。
蓋因一年取唐人一胆雑於其中、遂致甕中之胆倶臭腐而不可用故也。(3)
けだし、一年、唐人の一胆を取りてその中に雑うるに、遂に甕中の胆ともに臭腐して用うるべからざるを致すが故に因る。
なぜなら、ある年、チャイナびとの胆臓を一個取って他の胆臓とともに大甕の中に入れておいたところ、甕中の胆臓がすべて腐って臭いを放ち、使えなくなってしまったことがあったからなのである。
このひとは変なモノを食ったひとだったのかも知れません。
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それぞれ
(1)明・費信「星槎勝覧」巻一
(2)「明史・占城伝」
(3)元・周達観「真臘風土記」(35節)
による。
「真臘風土記」によりますと、この風習は近年(←元の時代)少しゆるくなり、「胆取り官」の役所も小さくなって王城の北門の裏に移されたとのことです。しかし、この習俗自体は19世紀のフランス人の旅行記にも記されているので油断はなりません。それ以前の時代にこの地方に旅する時空旅行者は気をつけねばならないのです。