平成22年5月20日(木) 目次へ 前回に戻る
昨日、「小窗自紀」を引きましたが、それに関連して一件報告せねばなりません。
昨年12月27日に同書の「和神国」の記述を引いた際、わたくし肝冷斎は、「和神国」について注を附して、
これは先生が勝手に想像している一種のユートピアらしい。「倭」国のことではないので念のため。
と書いたところですが、これは間違っていたのでした。(←わたし一人の責任ではなく2008中華書局「中華経典随筆 小窗自紀」の評注者で、「和神国」について「作者虚構の一個仙国である」と注した郭征帆先生のせいでもあるのである。)
先だって清の梅渓先生・銭泳がやってきまして、にやにやしながら、
「肝冷斎よ、おまえは間違っておるぞ、ひっひっひ・・・」
と教えてくれたのである。
「ど、ど、どこが間違っているのでございますか」
と焦りながら問いますと、銭梅渓はにやにやと
「和神国は呉小窗の妄想とも限らんのじゃ。・・・わしの「履園叢話」の二十二巻に解説してあるから、それを読んでおけい」
と言い残すや、足元から、ぼうん、と白い煙を吹き出して消えてしまったのです。
先生は二百年ぐらい前のひとですから、しかたありません。長い時間実体を保っていることはできなかったのでしょう。
しかたありませんので、言われたとおり「履園叢話」の二十二巻を開きましたところ、その巻末にあった――――
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幽怪記載李元之嘗夢往和神之国。
「幽怪記」に李元之かつて夢に和神の国に往きしを載す。
「幽怪記」という本に、李元之というひとがかつて、夢に和神の国に行ったときのことが書かれている。
という一条が出てきたのです。
「幽怪記」という書と李元之というひとについてはいずれも詳らかではないが、「履園叢話」に採録されている李元之の言によれば、「和神之国」の様子は、
其国人寿皆一百二十歳。
その国人の寿、みな一百二十歳なり。
その国のひとの寿命はみな120歳である。
皆生二男二女。与隣里為婚姻。
みな二男二女を生ず。隣里と婚姻を為す。
どのひとも(夫婦で)男の子二人、女の子二人を産む。そして隣近所と縁組しあう。
人口はかなりのスピードで増えて行くわけですね。
地産大瓠、瓠中有五穀、不煩人栽種而実。★
地に大瓠を産し、瓠中に五穀ありて人の種を栽えて実するを煩わさず。
その地には大きなひさごが成るが、このひさごの中には(主食となる)五穀が入っている。このため、人間は植物を植えて育てる必要がない。
水泉皆如美酒。★
水泉みな美酒の如し。
流れてくる水、湧き出る水はみな美酒のようである。
気候常如深春。★
気候常に深春の如し。
気候はいつも温帯の晩春のようである。
樹木葉皆綵緑、可為衣襟。★
樹木葉みな綵緑(さいりょく)にして衣襟と為すべし。
樹木の葉はみな緑のあやぎぬなので、そのまま衣服にすることができる。
なお、この国に行っている間、李元之の肉体は、
如死者数日、而復生。
死者の如きこと数日、而してまた生ず。
数日の間死体のようになっていて、生き返ったのである。
なのだそうである。(★の記述は昨年12月27日の呉小窗の記述と合致する部分である)
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「なんとすごい国ではないか。このような国がほんとうにあったのか・・・」
と、この記述を読んで感心しておりましたところへ、しゅうううう、と煙が立ち込めてきまして、銭梅渓がまた出てきた。
梅渓はにやにやしながら
「呉小窗の妄想では無かった、のじゃが、李元之の妄想でない、とは言い切れないのじゃー」
と言いまして、さらに、
余毎有此論、吾輩若能在此国作百姓、則何有於功名富貴、謀衣謀食事耶。
余、つねにこの論あり。吾が輩もしよくこの国にありて百姓たらば、すなわち功名富貴において、衣を謀り食を謀るのことあらんや。
「わしはいつも言うておったもんじゃ。わしらがこの国の人民と生まれていたら、どうして功名や富貴を望み、着物や食べ物のことで心配することがあったろうか、と。
これ以上の生活ができたのは、文明の創始者である伏羲(ふっき)以前の原始のひとだけであろう。
だからわしは一篇の詩を作ってみたのじゃ。
欲買青山願未成、 青山を買わんとして願いいまだ成らず、
心頭萬緒任縦横。 心頭萬緒 縦横に任す。
何時夢到和神国、 いずれの時か夢に和神国に到りて
無事縈心過一生。 心を縈(めぐ)らすの事無く一生を過さん。
老いを送り身を埋めるための山を買おうと願っているのだが、いまだその願いもかなわない(財産ができないのである)。
こころはあちらへこちらへ心配したり不安になったりして、一箇所に定めておくこともできない。
いずれのときにか、李元之のように夢に「和神の国」に行きたいものだ。
そうすれば、心をいろいろとめぐらさねばならぬ心配事は一つも無しに、人生を過して行くことができるのだからのう。
と」
「それならわしも行きますよー、連れて行ってくださいよー」
と言うたら、また足元からぼうんと白い煙を吹き出して、梅渓先生は
「わははは、わしはもうあちらへ行ったが、おまえはまた今度じゃー」
と言いながら消えて行きました。
ああ悔しい。よし、今夜にでも追いかけて行くか。このクスリを普段の何倍か飲めば・・・。