平成22年5月18日(火) 目次へ 前回に戻る
「いい天気ですなあ」
今日は晴れ渡ったすがすがしい一日であった。わしは自由の身であるから、今日は一日ふらふらと水のほとりをさまよい、昼飯のあとは木陰に寝そべって、ここちよい風に吹かれてうつらうつらとしていた。
そこへ、
「おいおい、おまえさん、知っておるか?」
と小柄な老人が杖をついてやってまいりまして、わしの側に腰を下ろして話しかけてきた。
「いや、知りませんが」
と答えると、
「では教えてやろう」
と言うて教えてくれたことには・・・・
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鯉脊中鱗一道。
鯉の脊中に鱗一道あり。
鯉の背中には、一列になったウロコがあるのじゃぞ。
そのウロコには一つ一つに小さな黒い点がある。この一列のウロコは、
大小皆三十六鱗。
大小みな三十六鱗なり。
大きいコイでも小さいコイでも、つねに三十六枚から成っているのである。
―――ほんとうですか?
疑うのなら、自分で確認してみてはどうかな?
ところで、唐の時代の刑法では、
取得鯉魚即宜放、売者杖六十。
鯉魚を取得すれば即ち放つべく、売者杖六十とす。
コイを入手した者は、すぐに解放しなければならない。金銭を取ってコイを売った者は杖六十発の刑に処す。
とされていました。
さて、問題1です。どうしてこんなにコイは優遇されていたのでしょうか? → 回答はこちら
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「鯢」(ゲイ)は一般にはクジラとされます。「鯨鯢」(ゲイゲイ)と重ねたときには、「鯨」がオスのクジラ、「鯢」がメスのクジラ、ということになっております。しかしながら、「鯢魚」(ゲイギョ)というドウブツがおりまして、これは淡水、それも渓谷の急流のところに住んでおる。
如鮎、四足長尾、能上樹。天旱輙含水。
鮎(セン)の如く、四足にして長尾、よく樹に上る。天旱なれどもすなわち水を含む。
「鮎」は「あゆ」、ではありません。「なまず」です。
なまずのような姿をしているが、四本の足があり、長い尾がついている。樹木によじ登ることができる。どんなに日照りが続いても、水気を持ってじめじめしている。
この「鯢魚」は
上山如草葉覆身張口、鳥来飲水、因吸食之。声如小児。
山に上りて草葉の身を覆うが如くして口を張り、鳥来たりて水を飲まばよりてこれを吸いて食らう。声は小児の如し。
水辺の陸上に上って、草の葉の下に隠れて口を大きく開けてじっとしている。やがて、鳥が水辺に降りて来て水を飲もうとすると・・・、
ぶしゅるるるるる
と吸い付いて、鳥を吸い込むように食べてしまうのである。
声は小さな子どものようである。
「児」はもともと「鯢」のツクリと同じ字です。鳴き声が子どものようだ、というので「鯢魚」という名前がついたのだという。
ところで、渓谷に暮らすひとは、この「鯢魚」を捕らえて食います。
食い方は、
先縛於樹鞭之。
まず樹に縛りてこれを鞭うつ。
まず、これを木の幹に縛り付けてムチで打つのである。
すると、
身上白汗出如構汁。去此方可食。
身上に白汗出でて構汁の如し。これを去りてまさに食らうべし。
体から「構汁」のような白い液体が出てくる。これを取り去ってから、料理しなければならない。
「構汁」とは何か。「広雅」にいう、「構」は「合」なり、と。
また、「易・繋辞伝」に曰く、
男女構精、万物化生。
男女構精して万物化生す。
おとこ的な性質とおんな的な性質がその本性を合わせあい、万物を生み出すのである。
すなわち「構」は「媾合」の意の「合」で、「構汁」とはその際に出る液体、すなわち男性の精液のことである。
不爾有毒。
しからざれば毒あり。
この白い液体を取り去らないと、毒があるのである。
さて、問題2です。この「鯢魚」というドウブツは、ニホンでは何と呼ばれているでしょうか。 → 回答はこちら。
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さてさて、おまえさん、蛤蜊(コウリ)という貝をご存知ですかな。
―――でかいアサリのことですよね。
そうじゃ。
蛤蜊候風雨。
蛤蜊、風雨を候(うかが)う。
大アサリは風や雨になるのを待っている。
なぜかわかるかな?
―――?
では、これが問題3です。 → 回答はこちら
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このじじいは明の葉子奇であった。以上はすべて「草木子」に書かれていることでもある。ばかにしてはいけません。文字に書かれて何百年も伝えられてきたことなのです。