イヌはおろかじゃにゃあ・・・。
変なものを食うてはいけませんぞ。
・・・というお話です。
広東・南海出身の李三洲と同席したとき、項甌東が訊ねてみたことがあったそうじゃ。
広人食蛇、信乎。
広人蛇を食う、信(まこと)なるか。
「広州のひとはヘビを食うといいますが、本当ですかな。」
李三洲は「うんうん」と頷きまして、答えて言う、
亦有食之者、然有食之全家死毒者矣。
またこれを食らう者あり、然るにこれを食らいて全家毒に死する者もあるなり。
「食うひともいますなあ。しかし、それを食うて中毒して一家全滅した、というひともいますからなあ。」
「ほう、そういうものですか」
「こんな事例がありますな・・・」
第一例・・・・・・・・・・・・・・・
ある地方府でのお話。生員(府学の学生)十数人が府学の学生の詰め所である明倫堂で自習していたとき、
―――どすん!
忽有一大蛇自梁上墜下。
忽ち一大蛇の梁上より墜下するあり。
突然、大蛇がハリの上から落ちてきたのであった。
生員たちは始め驚いたが、状況を理解するとみなでこの大蛇を捕らえ、たいへん珍しいことだと言い合いながら、
取而烹之。
取りてこれを烹(に)る。
これをナベに突っ込んで煮た。
ぐつぐつ。
ああ、いいにおいがしてまいりました。
「よし、もう少しだ」
将熟、忽報提学到、諸生趨出。
まさに熟さんとするに、忽ち提学の到るを報じ、諸生趨(はし)り出づ。
もう少しで煮える、というときに、提学(教育監査官)が視察にお見えになったという知らせがあり、学生たちは出迎えに走り出た。
・・・・・・・出迎えが終わり、提学は教師たちとともに別室に入っていかれたので、学生らは明倫堂に戻ってきた。
ぐつぐつと煮えているナベ。
と、
犬死竈傍矣。
犬、竈の傍らに死せり。
イヌが一匹、ナベを煮ているカマドの側で白目を剥いて死んでいるのが目に入った。
「おお、これは府学に飼うておるイヌではないか」
「どうしてこんなところで死んでいるのか」
と調べてみるに、
鍋中火湧、汁流地下、飲之。
鍋中の火湧き、汁地下に流れ、これを飲むなり。
ナベがぐつぐつと煮え立ってヘビ汁が地面に流れ出し、これを嘗めて死んだのは明らかであった。
「うひゃあ、これは毒ヘビであった」
と気づき、食べようとしていたヘビ汁を棄て、
取其肉埋土中。
その肉を取りて土中に埋む。
ヘビの肉を取り出して土の中に埋め込んだ。
地上にそのままにしていたのでは誰が食べてしまって害に遇うかも知れないからである。
数日土上出一大木耳、黒而嫩。
数日にして土上に一の大なる木耳出で、黒くして嫩(やわら)かなり。
数日後、ヘビ肉を埋めた場所に、一本の巨大なきのこが生えていた。黒く、やわらかかった。
けだし、毒が発してこのような形をとったのであろう。
巨大きのこは臭気激しく、人間もドウブツもこれを食べようとするものはいなかったが、一月ほどすると溶けるように見えなくなってしまった。
―――「その生員の中にはわしもいたのですからな。ああ危ないところでございましたなあ」
と李三洲はいまさらのように首を振って
「ああ、おそろしや、おそろしや。わしが今あるのもあの提学さまとイヌのおかげなのじゃなあ・・・」
と呟いた。
呟き終わると、
「では次の事例に移ります・・・・」
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第二例は次回のお楽しみといたします。
明・李詡(り・く)の「戒庵老人漫筆」巻八より。
李詡は字を厚徳、自ら戒庵老人と号し、江蘇・江陰のひと、弘治十八年(1505)の生まれ、七度試場に傷つく、と自ら言うておりますので、試験を受け続けて落第し続け、家にあって著述を事とし、萬暦二十一年(1593)に卒したらしい。この「漫筆」は若いころからの見聞を晩年になって記したものとのことで、玉石がぐちゃぐちゃといいますか、政治向きのこと、古典の解釈に関することから始まって、へんなこともたくさんあって面白いです。