老人ありて、曰く、
―――呉の崑吾山には
有獣如兎、食銅鉄。
兎の如き獣あり、銅鉄を食らう。
あるドウブツがおります。それはウサギに似ているのですが、銅とか鉄を食物としているのです。
「ははは、そんなことがあるものか」
わしは否定いたしました。そして、親切にも
「今日は五月一日じゃ、メイポールおったてて祭るメイデーじゃ、四月一日では無いのじゃぞ」
と注意してやります。
老人、曰く、
―――お信じになれないのも無理はございませぬ。しかし、わしはこの目で見て知っているのでございます。
かつて戦国の時代、
呉国武庫中兵刃倶尽。而封署如故。
呉国の武庫中、兵・刃ともに尽く。而して封署もとの如し。
呉国軍の武器庫を開いてみたところ、柄の部分も刃の部分もともに無くなってしまっていたことがあったのでございます。しかし、しまいこんだときの封印はそのままであり、誰も武器庫を開けた形跡も無い。
王さまが疑って武庫の中を徹底的に調査させたところ、倉庫の隅に小さな穴がありました。
この穴を外からいぶしたところ、二匹のウサギが飛び出してきた。
時の賢者、これこそ崑吾の兎ならん、と指摘いたしましたので、この二匹をコロして、
開其腹、而有鉄胆腎。
その腹を開くに、鉄胆腎あり。
ハラを解剖してみましたところ、鉄で出来た内臓が出てきたのでございます。
よって柄の部分も刃の部分もこのウサギが食べてしまったことが証明されました。
乃鋳腎、雄為干将、雌為莫邪。
すなわち腎を鋳し、雄は干将と為し、雌は莫邪と為す。
そこで、腎臓を鋳潰して、その鉄で剣を作りましたのじゃ。オスから取った腎臓からできた剣が「干将」、メスの腎臓からできたのが「莫邪」でございましたのじゃ。
「ほ、ほほう・・・」
なにしろこの老人は自分の目で見たというのです。ということは、戦国の時代といえば現代(晋の時代)からみれば五百年以上も前のことですから、この老人はそんな古い時代から生きている生き字引のようなひとということです。そんなひとの言うことを疑うことができましょうか。
そういうドウブツがいるものなんですね。
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晋・王嘉「拾遺記」より。こんな話を信じる者は救われる・・・かバカを見るかも知れませんが、何も大したことは起こらない、かも知れません。つまり、信じることによって何が起こるかわからないおそろしい力を持ったお話なのです。