今日はこれだけ言うておきますぞ。
鏡に映る月の影。
水に映る花の影。
あなたはそんなものを見つめてあこがれているのではないだろうか。
鏡月水花、若便慧眼看透。
鏡月、水花、もしすなわち慧眼ならば看透せん。
智慧のまなこで見透かせば、それらが真実の写しに過ぎないものであることがわかろうというものを。
あるいは、
剣の腕、文筆の力によってこの世を動かそうという夢を持ってはいるのではないか。
そんなものでこの世は動きはしない。そんなものでこの世を動かそうと努力すれば自分自身を磨り減らしてしまうことになるだけだ。
剣光筆彩、肯教壮志消磨。
剣光、筆彩、あえて壮志をして消磨せしめんや。
そんなもので勇壮な心を磨り減らしてしまうようなばかなことがあるだろうか。
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以上、「小窗自紀」第七十八則。世の中を動かすものは「剣光筆彩」よりも「カネ」と「ルーピー」でしょう。
ということで、われら常人は・・・常陸笠間の俳人・加藤原松、京洛にありしとき妙心寺の僧が来て、骸骨の画を取り出だし、
「この画に賛をいただきたい」
と頼まれた。
原松その画を大変気に入り、預かった上毎日広げて観ていたが、なかなか画賛を書く風情が無い。
秋から冬を過ぎて春になるころ、ようやく
「得た」
というて筆を取り、
墓原(つかはら)や秋の蛍の二つ三つ
と書き付けると、
筆を擲つて卒死す。時に寛保二年なり。
筆を放り出してそのまま死んでしまった。1742年のことである。
58歳であった。(「俳家奇人談」巻下)
・・・と、いうように生きて死ぬるしかないのである。
ちなみに、「髑髏」(されこうべ)は季語としては、本来「冬」である。これは、髑髏は一年中あるものであるが、冬になると草が枯れ、野辺の髑髏が目につくようになるから、だということである。ゆえに、
哀れさに踏摧(ふみくだ)きけり髑髏(しやれこうべ) 高野百里
というのも「冬の句」ということになります。なむなむなことである。