平成22年4月16日(金)  目次へ  前回に戻る

今日はすごく寒かった。

手元に「四遊記」という本があります。

一つなら「西遊記」であろう。「西遊記」といえば孫悟空の大冒険ですよ。昨日も話題にしましたね。

二つなら本朝・橘南蹊の「東・西遊記」のことでしょう。

しかるに「四」とは何ぞや。

「東遊記」「南遊記」「西遊記」「北遊記」という四篇の小説を合本した明代の本なのである。

●東遊記・・・いわゆる「八仙」参考)の成立と過海(海を渡って神魔と戦う物語)を書いたもので、「八仙過海記」などのダイジェスト版(「節本」といいます)らしい。

※「八仙」=李鉄拐、鍾離権、呂洞賓、張果老、藍采和、何仙姑、韓湘子、曹国舅

●南遊記・・・華光天王が天界を騒がせ、天の軍勢と戦うが、最後は霊山の世尊のもとで仏法に帰依する。

●西遊記・・・孫悟空の活躍を中心に、三蔵法師の西天取経の旅路を描く。一般の「西遊記」の「節本」になっています。

●北遊記・・・北方真武上将玄天上帝・武当山祖師が天地の怪物どもを退治する物語。

から成っております。

しかしながら、この本は、荒唐無稽なばかりで別におもしろくも何ともない。意義ある人生を送るひとたちがこんな本を読んでいてはいけません。わたしのようなルーピーなニンゲンだけが読めばいいのです。ので、代わりにちょっと読んでみます。

「北遊記」の第二十三回(最終回)によれば、

至於我朝永楽三年、黄毛韃子反叛。

我が朝の永楽三年に至り、黄毛韃子反叛せり。

我が明朝の永楽三年(1405)のこと、モンゴルの黄毛族が我が国に楯突いたのでございます。

このとき、永楽帝は自ら禁軍を率いて迎撃したが大敗し、追撃されて危急存亡のことがあった(←念のため言っておきますが史実ではない)

「もはやこれまでぞ」

と雄才大略を以て鳴る永楽帝も覚悟を決めたまさにそのとき、

忽然見半空中現出一人。

忽然として半空中に一人を現出するを見る。

突然、空の半ばほどのところに一人の魔神が出現したのである。

魔神は帝の方を見て、

「帝よ、お助け申そう」

と力強く言うた。

そして、

手持宝剣、帯有三十六員天将、駆動風雷、雨下黄獅等獣、当頭殺去。

宝剣を手持し、三十六員の天将を帯有し、風雷を駆動して黄獅等の獣を雨下して当頭に殺し去る。

手にした宝剣を振るい、引き連れた三十六人の天魔将軍たちに命ずると、風と雷もともどもに起こり、黄色い獅子をはじめとする猛獣たちを空から下して、手当たり次第に殺し始めた。

このため、黄毛族の頭目どももみな死んでしまい、皇帝は死地を免れることができた。

「魔神よ、朕はあなたになんと礼すればよいのか・・・」

見上げる皇帝に対して魔神はにこりと笑い、

「礼など要らぬ。それより、民草のために善き政治を。そして御身の健やかならんことを」

と告げると、眷属たちとともに雲間に消えて行ったのである。

皇帝は禁軍をまとめなおすと黄毛族を掃討し、この戦いは我が明朝の大勝利に終わったのであった。

永楽帝、凱旋の後、茅山の大道士・張天師を招き、かの魔神が一体なにものであるか問うた。

張天師は神の出現した方向(北方からであった)、その髪の形などを訊き、大いに頷いて曰く、

若披髪有亀蛇者非別神。

披髪して亀蛇ある者のごときは別神にあらず。

「ほほう・・・髪をばらばらにしたとき、中にカメとヘビがおりましたのですな。それは別の神ではござらぬ。」

として、玄天上帝でございます、と奏上し、その来歴を説明したので明らかになり、武当山に廟を建てて祀ることとなったのだそうである。

なお、このカメとヘビは、美しい二人の女性の姿で多くのひとびとを苦しめた精霊であったが、玄天上帝に征伐されてその配下となったものであるという。

以来、

今至二百余載、香火如初、永受朝拝、天下太平。

今に至る二百余載、香火初めの如く、永く朝拝を受け、天下太平なり。

現代に至るまで二百余年の間、武当山の廟にはお香の烟と火が絶えることなく、朝廷からの拝礼を受け続け、天下も太平に治まっているのでございます。

・・・というのが、「北遊記」の最後の一文である。

永楽三年から二百余年、といいますと、まさに万暦(1573〜1620)の終わりごろ、表面上は栄華の窮みにあった。しかし明帝国の滅亡(1644)までもう少しです。

ハ○山内閣の支持率がすごい勢いで落ちてきているとのこと。一内閣のことであればともかく、シナの歴史を紐解けば、「天下太平」のがっはっは状態から王朝の滅亡までいつも「あっという間のこと」なので、戒しむべし、戒しむべし。(・・・あるいはもう遅いかも・・・)

 

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