元祐年間(1086〜94)の終わりごろのことだそうでございます。
四川・巴郡の王信なる者、知事さまに数日行程の他県への使いを命じられ、役所を出て行った。
ところがお昼過ぎになったころに郡の役所に走りこんで来て、
状若狂人、見人作怖畏状、口称怖人怖人。
状狂人の如く、人を見て怖畏の状を作し、口に「人を怖る、人を怖る」と称す。
狂ったように振る舞い、人を見かけては驚き怖れたようになり、「ニンゲンは怖ろしいのだ、ニンゲンは怖ろしいのだ」と声を上げるのだ。
数人で取り押さえ、少し落ち着いたと見えたところで知事自ら
「一体どうしたのか」
と訊くと、徐ろに話し始めたことには――――
朝、ご命令を受けて郡城の門を出、数十里(一里=550mぐらい)ほど行きましたときです。
最初に通り過ぎたときには気づかなかったのでございますが、
道傍顧見二道士野酌、食桃甚大。
道傍に二道士の野酌し、桃の甚大なるを食らうを顧見す。
ふと振り向くと、道端で二人の道士が飲み食いしているのが見えたのです。彼らはおそろしく大きな桃を食うておりました。
わたくしもこのあたりで一休みしようと思い、少し立ち戻ると、ダメもとで道士に
「わたしにも桃をいただけませんかな」
と話しかけてみたのでございます。
すると、二人の道士はわたくしの方を見向きもしませんでしたが、そのうちの一人が無言で
以残桃与之。
残桃を以てこれを与う。
手を伸ばして、食べさしの桃を差し出してきたのでございます。
咽喉が渇いていたこともあり、食べさしでも構わないと思いまして、「ありがたいことじゃ」と言うてちょうだいし、かぶりつきました。
―――おおッ!
と小さく声を出してしまうほど、美味い。たいへん甘くてみずみずしい桃でござった。
その食べ差しを食っている間に、
道士復探懐取一大如盂者授之。
道士また懐を探りて一大盂の如きものを取りてこれを授く。
道士はさらに懐の中から、一個の、大きさは鉢ほどもあろうかという巨大な桃を探り出し、わたくしの方に差し出してきたのでございます。
この間、道士たちは一度もわたくしの方を見ることもなく、一言も言葉を発することはございませんでした。
しかし、大きな桃がいただけたのです。わたくしはたいへん喜びまして、
「ありがたいことでござる」
と跪いて礼を述べ、この桃を袖に包み込んで出発いたしたのでございます。
未数里、探桃将食。
いまだ数里ならずして、桃を探りてまさに食わんとす。
数里ほど行ったところで、桃を取り出して食べようとしました。
さきほどの残り物の桃のみずみずしかったことを思い出し、唾を飲み込みながら懐から取り出してかぶりつこうとしまして、よくよく見たら。
・・・ああ! なんということか。
則一人首也。血漬殷然。
すなわち一人首なり。血漬殷然たり。
それは人間の生首でありましたのじゃ。血まみれで、まるで熟した桃のように真っ赤に染まっておりました。
即驚懼、急投之澗水、疾走還郡。
即ち驚懼し、急にこれを澗水に投じ、疾走して郡に還る。
まったく驚き、恐怖し、大慌てでその生首を谷川に投げ込み、あまりの恐ろしさにここまで逃げ帰って来たという次第でございます。
――――そう話すと、王はまた恐怖に駆られたらしく、
奔逸狂言。
奔逸し狂言す。
手足を振りほどいて走り逃げ、おかしなことを口走りはじめた。
そのまま正気を取り戻すことがなかったので、役所でも困ってしまい、暇を出して放り出してしまったのだった。
今でも蜀(四川)では、狂った彼の姿が思いも寄らない場所で見られることがあるそうだ。
――――このときの知事は実はわしのヨメの祖父の馬余慶さまである。わしの妻が親しく何度も聞いたことであるという。
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宋・何子遠「春渚紀聞」巻三より。仙桃といえば崑崙山に生える人参果のように赤ん坊の形をしたものもあるというので、生首ぐらいならまだ人道的な気もいたします。それにしても、王信が「ニンゲンは怖ろしいのだ、ニンゲンは怖ろしいのだ」と言いながら帰ってくる点は、毎日のわたしとまったく同じであり、はじめは自分のことを書かれているのかと驚いたほどであった。狂ったようになって放り出されるのもやがてまったく同じになるのかも知れませぬなあ。
ところで、今日もすごく寒かった。幻覚見そうなぐらいでした。